第一章 日本近代文学の出発点に存在した学校と学歴――東京大学卒の坪内逍遙と東京外国語学校中退の二葉亭四迷
第二節 二葉亭四迷
■『浮雲』に見る学校
文三のこうした設定は、年齢的には作者である二葉亭四迷に合わせたものと考えられます。
明治一一年に数えで一五歳というのは二葉亭と同じだからです。(作品冒頭で文三が登場する場面では、上司から馘首(かくしゅ)を宣告された直後なのですが、年齢が二二、三歳と言われていますから、作品の時代設定は明治一九ないし二〇年ということで、つまり作品の発表年と一致します。)しかし、『浮雲』を読んで現代の読者が戸惑うのは、主人公文三が具体的に何という学校に学んだのか、書かれていないことなのです。
日本の近代教育が明治五年に発布された学制に始まることは先に述べましたが、そこでは初等教育は小学校下等科で四年制、中等教育は小学校上等科四年制と中等学校下等科三年制とされていました。この制度は、明治一二年から一三年にかけて発布された教育令により変更されることになります。
文三は一四歳で学校を卒業したと言われており、とすると明治一〇年卒業で、まだ学制が有効だった時代ですから、おそらく小学校上等科を出たのでしょう。小学校初等科と合わせて八年間の教育を受けたことになります。
ただし明治初期の頃は学校の定めた通学年齢が必ずしも守られておらず、飛び級も行われていたので、中学という可能性もなくはありません。作者の二葉亭は数え年一二歳で松江の変則中学で学び始めています。
そして上京するためにこの中学を中退したのが明治一一年、一五歳のときでした。
いずれにせよ、この時期には学校制度がまだ固まっておらず、『浮雲』で学校の種類や名称が出てこないのは、そのためもあったかも知れません。学校制度がしっかりと固まり始めるのは、帝国大学が成立した明治一九年頃からになるのです。
さらに、東京で給費生となって文三が通った学校名も示されていません。
給費生という立場は二葉亭が東京外国語学校で得ていたのと同じですから、ここでも作者の人生が或る程度背景になっていると見ることができます。しかし学校の名だけでなく、そこで主として何を学んだのかが書かれていないのはなぜでしょうか。
具体的な学校名が『浮雲』で挙げられていないのは、学校制度の未確立以外に、写実的な小説技法が作家の身についていなかった明治初期の作品だからということもあるのかも知れません。
或いは、学校を出ることが大事であり、どんな学校で何を学んだのかがあまり重視されていなかった時代を示しているとも受け取れます。