第二章独身時代、青春を謳歌する―日本復興の熱気の中で

千葉工場での日々

突然の親友との別れ

千葉工場時代には、つらい思い出もある。

神戸時代に最高の遊び仲間であった有江くんと広瀬くんとは、違う寮に入ってしまった。おまけに、同じ千葉工場内といってもまったく業務が異なり、働く場所も離れていたために会うことも少なくなってしまっていた。

実は有江くんは、私たちと一緒に異動の辞令が出ていたが、千葉工場へは十か月ほど遅れてやって来た。

神戸のスナックで遊んでいたとき、彼がおかしな咳をしているので気をつけろと言ったことがあるのだが、病院で診てもらったところ肺結核と診断され、しばらく三田(さんだ)の病院で療養していたのだ。

その有江くんから私の寮に電話があった。

「おれ、結婚したんだ。神戸で入院しているときに、療養所で知り合った看護婦さんなんだ。式は身内で挙げたから、報告が遅くなって悪かったな」

律儀に以前の悪友にわざわざ報告をしてくれた。

「おめでとう! 良かったな」      

先を越されたのはちょっと悔しかったけれど、有江くんは三人の中ではいちばん背が高くてハンサムだったから、まあ仕方ないと納得した。

やがて子どもが生まれたとも聞き、たぶん幸せの絶頂であっただろう。ところが突然の悲報が入る。千葉工場で天井クレーンを点検中、落下する事故に見舞われたのだ。

即死だったという。家族のためにがんばっていただろう有江くん。まだ子どもは七か月だったそうだ。どんなに無念であったろうか。

人生は本当にわからない。同い年で、たくさんの時間を共に過ごした仲間が、一瞬のうちに命を落としてしまった。若さとは、自由であり、ずっと未来が続いていくと疑いもしていなかった。しかしそれは確かに約束されたものではない。有江くんのあの笑顔がもう見られないことに私は大きな悲しみとショックを受けた。

生きるということの大切さを改めて感じた出来事であった。もっとがんばって働かなければ、有江くんに恥ずかしくない人生を生きようと、心に誓ったのである。