初めから解釈が間違っていたから、その後の解釈もみんな間違って当然というのが僕の見解であります。こんな大胆なことをあえていえるのは、僕が仏教の歴史や内容、言葉に関して全くの素人であるからともいえますが、逆に先入観を持たずに十二支縁起を理解しようとすると、どうしてもそう考えざるを得ないのであります。

従来の十二支縁起の流れは、古い文献が正しいとの前提で成り立っています。

第二の理由は、従来の説明による十二支縁起の流れには、初めから矛盾が含まれているからであります。

苦の根源が無明(むみょう)にあるのはいいとして、従来の流れでは、無明から始まり、行(ぎょう)、識(しき)、名色(みょうしき)、六処(ろくしょ)、触(そく)、受(じゅ)、愛(あい)、取(しゅ)、有(う)、生(しょう)、老死(ろうし)と続きます。

けれど、最後の老死の苦から再び無明に縁起するとなると、苦の根源が無明にあるとはいえなくなってしまいます。苦の根源であるはずの無明が、老死の苦から再び縁起することになるからであります。

古い文献にも、無明は縁によって起こるとあります。

『比丘(びく)たちよ、無明は無常であり、作られたものであり、縁によって生じたものであり、尽きてしまう性質のものであり、衰滅する性質のものであり、欲を離れる性質のものであり、消滅する性質のものである。』               (サンユッタ・ニカーヤ 12、20)

従来の解釈では、十二支縁起の円環は無明から始まり、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の苦まで行ってストップというもので、十二支縁起の円環が延々と繰り返されるものとは考えられていないようであります。

すると、十二支縁起における苦の輪廻(りんね)、つまり苦の流転は説明できないことになります。

アーナンダと十二支縁起

ゴータマ・ブッダのつき人として、常に近くでブッダの説法を聞いていたとされるアーナンダは、ゴータマ・ブッダの生きていたときには悟ることができなかったと伝えられています。ブッダの身の回りの世話で忙しく、自らの修行に集中できなかったのかもしれません。

また、初期仏教経典における十二支縁起の説は、主にアーナンダがゴータマ・ブッダの説法を聞いて理解したことの伝承と考えられています。

リチャード・ゴンブリッチの『ブッダが考えたこと』によれば、「大縁経(だいえんきょう)」の導入部で、アーナンダがゴータマ・ブッダに、自分は十二支縁起を理解したと嬉しそうに告げると、ゴータマ・ブッダは彼を叱責してそれを理解することは極めて難しいと言い放った、とあります。

【前回の記事を読む】初期仏教は実践的な自己心理学であった。新解釈で十二支縁起を紐解く