第一章 十二支縁起の新解釈

難解とされる十二支縁起

仏教学者であるリチャード・ゴンブリッチは『ブッダが考えたこと』の中で、こう述べています。

『十二支縁起は決してたやすく理解できるようなものではない。その細かな意味については、最初期の仏教徒のあいだでも論争があり、コンセンサスと呼び得る解釈は存在しない。……

……彼の教えは深遠で理解しがたいといった発言は、私の知る限り他に類例がない。このことは、最初に経典をまとめ、この教えを記録した者たちが、自らの理解に確信が持てなかったことを意味するものと、私は解釈している。』

十二支縁起に限って言えば、ゴータマ・ブッダ亡きあとに記録された十二支縁起の説は誤って理解された可能性が高いと思われます。

その理由の第一は、現在においても誰もが納得できる十二支縁起の説明がないということであります。

これまで十二支縁起を解説する人それぞれによって解釈の違いがあるということは、基本となる解釈がないのか、解釈のもととなる資料そのものが間違っているかのどちらかと考えられます。

ただ一つどの説でも一致していることは、十二支縁起の因果関係の流れであります。同じ文献を頼りにしているのだから、そこだけは一致せざるを得ないのかもしれません。

しかしここで、あえて言うなら、この因果の流れの解釈が文字として記録されるようになった時代から、すでに誤解があったのではないかというのが、僕の仮説であります。