第一部 日本とアメリカ対立—

第二章 緊張の始まり

ワシントンD.C.

我輩が思いまするに……、と続けながら、

「どの国でもそうですが、米国でも軍隊、大学、幼馴染みなど知人、友人、人脈、縁故を武器に時のトップに取り入る人間は大勢います。唯、米国が他と違うのは『個人の関係とビジネス・政治関係は厳格に区別する』という原則が生きている点ですね。大口の選挙資金提供者を当選後にご褒美として政府機関の要職や大使に指名する政治任用システム(political appointee)はあるので一概に峻別されているとは言い難い面はあります。しかしそれも常に議会の承認とか世間の厳しい監視を受けての話で他の国々とは次元が異なります。ですから、個人的に親しい関係は極力個人の枠の中だけに閉じ込めて置き、必要以上に大統領との関係を外部に誇示したり、過大な期待をかけたりするのは危険だと思います」

と説明した。

しかし、どうも我輩のご主人の反応はいま一つだった。

我輩のご主人は感情が先走り過ぎるのか、昔の古き良き時代の想いに囚われ過ぎるのか、我輩の説明にあまり納得していないことが顔じゅうに現れている。

「相手は『話せば分かる』ではなく、『話しても分からない』」

というこの一点がよく理解できず、

「儂が行けば何とかなる。儂が赤誠(せきせい)を以て海軍仲間の大統領と直接話せば相手は分かってくれるはずだ」

という強い思い込みに囚われていたように感じた。元々日本人種族の典型的な〝お人好しの気分〟を濃厚に持っていたのだろうが、そのお人好しの気分が通用しないことに次第に気づいていく。

大使館の面々

さて、ここで当時ワシントンD.C.の在米日本大使館にいた主な館員の面々を簡単に紹介しておこう。

まず大使の下に公使の南野役蔵(なんのやくぞう)氏。我輩のご主人の女房役として我輩のご主人と同行または単独で国務省の役人と折衝するなど淡々とサポートしていた。

彼の下に参事官の淡手浮太郎(あわてふたろう)氏。大使館の館務全般の責任者で扇の要の位置にいた。

彼が覚書の浄書遅れの危機に臨んで、あたふたすることなく咄嗟の判断を下して浄書問題を処理していたら或いは……という悔みはある。この悔みについてはいずれ触れる機会があろう。

その下に政務担当の首席一等書記官、四角頑之介(しかがんのすけ)氏。我輩の記憶を彩る本著のもう一人の主役だ。彼の下に情報、法規など他の専門分野を担当する一等書記官が二名、他に二等、三等書記官、入省したばかりの外交官補など数名がいた。

そして一番重要な電信課には全部で六名。外務省本省や他の在外公館との電報の送受信、暗号翻訳に従事していた。