第一部 日本とアメリカ—対立—
第三章 緊張の高まり
二度目の嘆き
「米国が突き付けている『中国からの撤兵、満州国の放棄、三国同盟からの脱落』等の交渉の前提条件は到底今の日本は受諾できず、日米交渉の行方は『早晩決裂』が必至」
「決裂必至の交渉の場に赴任し、その失敗の責任を取らされては輝かしい将来が台無しになる。そのような貧乏くじを引くことは絶対に避けねばならん。最初から自分の経歴に傷が付くことが明らかな場面で手を挙げる『酔狂な外交官』など誰もいないはずだ。
「こういう時はじっと舞台の袖に隠れて表に出ず、外部の人間にやらせておくに限る。できればその人がズタズタにされ、もう一人くらい外部の人間に出てもらい、事を上手に処理して交渉が妥結するか関係改善が視野に入ってきそうになった将にその瞬間、『あいや、暫く!』と我々外交のプロが舞台中央に躍り出て交代するのが最高の見せ場。
交渉のテーブルに就いて最終合意案をまとめ、歴史に残る成果のランプを煌々と灯して調印式を済ませ、仏料理に舌鼓を打ちながらシャンパンで乾杯。そうして平穏になった後は以前にも増して大きな顔をしながら活躍する」
「上手くいけば外務大臣、運が良ければ首相に。そこまで行かなくともどこかの国際機関の事務局長に指名されて世界の政治、外交、文化の舞台で華々しく活躍する……など、栄光の人生が待っている。要するに今焦ることは無い」
・・・・・・
とほぼ全員が思っている。
思っていないのは初めから候補の局外にいる人たちだけだ。
さて、電報を受け取った北里外相。
さすがに外務省出身だけに身の処し方はよく理解していて、秘かに元大使、次官級のOB数名に状況を伝えて相談した。
就任前に周囲から現大使が本省の意向を無視して勝手に動く傾向があるという評判を耳にし、出身元の海軍内でもそのことが問題になっているとの噂も聞き込んでいたらしい。
「本音を言えば、気心の知れた後輩に直ちに交代させたいところだが、ここは留任してもらおう。その代わり外交のプロトコール、条約・覚書の形式など現大使が不得手な分野で勝手な動きをされないように噛んで含めるように細かく訓令すれば良かろう」という結論に達した。
その結果、おだて、すかしを交えながら、我輩のご主人宛に「鵜殿大使、まー、そう言わずに、この難局を乗り切れるのは貴職しかいないから引き続きご尽力を」と案の定、交代拒否・継続努力を訓令してきた。
更にこれだけでは不安に思ったか、慎重(しんちょう)居士(こじ)で狡猾な北里外相は〝強力な助っ人〟を送ってきた。