第一部 日本とアメリカ—対立—
第三章 緊張の高まり
急変する日米の動き
米国で我輩のご主人を励ましている間にも日本と米国はそれぞれ目まぐるしい動きを見せ始めた。それは七月から十月の四か月間を見ただけでも顕著だ。
日本側は七月二日御前会議で「帝国国策要綱」を決定、南部仏印(*)進駐が決まり、七月十八日には第三次九条内閣が組閣され、二十八日に南部仏印に進駐。
一方米国側は日本の南部仏印進駐の動きに先んじて七月二十五日、在米日本資産を凍結。八月一日には日本側が一番恐れていた対日石油禁輸とこちらも矢継ぎ早に先手、先手と対抗策を打ち出してきた。
南部仏印への進駐がよもや虎の尾を踏むことになろうとは予想すらしていなかった日本側は米国の石油禁輸を引き起こした事態に慌て出した。
特に海軍は燃料油がなければ大規模艦隊が海に浮かぶ鉄屑同然になってしまうだけに、
「このまま交渉結果を待つだけではいずれじり貧になる。何とかせねば……」
と焦りの色が濃くなった。
統帥部も次第に戦争への道を辿り始め、九月六日の御前会議で「帝国国策遂行要領」を決定し、「十月初めを目途に対英米戦も辞せず」と次第に急な坂を転がり出した。
そして七月にできた第三次九条内閣もわずか三か月で倒れ、十月十八日には陸軍大将西条秀樹(さいじょうひでき)内閣が誕生し、外相には外交官出身の北里重隅(きたざとしげすみ)氏が就任した。
いよいよクライマックスに向かって日本側の布陣も最終陣容となった。
このままでは日一日と日米の関係が険悪になることを憂慮しながら、我輩はこういう時期こそ粘り腰を発揮しなければ柴犬種族の名が廃ると考え、我輩のご主人に対して、
「しっかりしてくださいよ。辞めるの、交代したいのとそんな弱気で交渉などできやしませんよ。そもそも我輩が無理だと言ったのに、『いや、やはり儂が行かねば……』と一大決心されたからこそ、『そこまでのお覚悟であれば……』と我輩も覚悟してついて来たんですから。簡単に音を上げてしまっては元海軍大将の名が廃りますよ」
と励ましとも脅しともつかぬことを言いながらやっぱり励ました。
更に続けて、少し危険なことも思い切って言ってみた。
「ひと先ずペテン師は追い払いましたが、ペテン師を陰で手伝うくらいしかサポートできない一部の幹部を更迭してはどうですか? 案外ご主人様の早期交代を期待してサボっているかも知れませんし……」