【前回の記事を読む】「徳三郎、十日後には江戸にお発ちなさい」父だけでなく十八の息子も手放すことは、母の表情をどことなく寂しくさせた――
一 初出仕
朝食を終えると二人はまた歩き始めた。伊吹山を左に眺めながら、関が原を抜け、赤坂で宿をとった。
赤坂は天下分け目の戦いと言われた関ヶ原の戦いを前にして東軍が集結した場所である。
出発前は、関が原の古戦場跡や赤坂の東軍集結場所の跡にも立ち寄りたいと思っていたが、一日目はかなりの強行軍でさすがに歩き疲れて、寄り道をする元気もなくなっていた。
三日目には木曽路に入り、大湫 (おおくて)、馬籠(まごめ)、奈良井と泊りを重ねて、六日目に塩尻へ出た。行程の半分ほどを過ぎたのである。
塩尻峠の長い坂道を抜けると眼下にほぼ円形に近い諏訪湖の湖面が夕陽を受けて白く光っている。
その中ほどに西の岸から東の岸に向けて一本の道が走っていた。近づいてみると湖面が白く見えたのは全面凍っていたからで、道と見えたのは湖面を走る氷の亀裂だった。
この日は、少々早めであったが、芳蔵の提案もあって下諏訪の温泉にゆったり浸かって旅の疲れを癒すことにした。
源泉から湧き出る宿の湯は熱く、水で薄めながら入らなければならなかったが、この六日間の疲れを一挙に癒(いや)してくれるように思われて、彼は寝つくまでに三度も湯に入った。
翌日は諏訪大社に詣でた後、和田峠への気の遠くなるほどの長い坂道を上った。右は霧ケ峰、左は美ヶ原となる稜線を越えると、下り坂の終点が和田宿である。
二人はここで名物のおやきを買い求めて歩きながら食べた。冬の日暮れは早い。ようやく望月宿に着いた時はすっかり暗くなっていた。
翌日は一日中噴煙を上げる浅間山を見ながら歩くことになった。