第一部 日本とアメリカ対立—

第二章 緊張の始まり

ワシントンD.C.

着任早々、ルースボタン大統領、ウィンター国務長官を表敬訪問。大統領に信任状を奉呈。いよいよ米国での任務開始となった。その際、大統領と国務長官両氏は同席した我輩を見て一瞬ぎょっとした顔をして、

「鵜殿大使、貴殿と一緒に来たこの犬殿は貴殿のシークレットサービスか? それとも補佐官兼通訳か?」

と尋ねてきた。

ご主人が我輩の生い立ちを簡単に話してくれたので、後を引き取って英語で簡単な自己紹介をしたところ、両氏は

「こりゃ面白い。米国生まれの柴犬殿が日本で活躍し、『駐米大使の補佐官兼シークレットサービス兼通訳』となって帰国したとは前代未聞の珍事だ」

と一同大笑いになった。

物珍しさも手伝って、それ以降日米が戦争状態に突入するまで何かと重宝がられ、我輩のご主人と交渉の現場に同行させてもらったのは幸いだった。こういう開放的な明るい雰囲気が米国の良いところで数年ぶりに故国に戻った感じがした。

こうして徐々に日米交渉の現場に同席することになった訳だが、ある日何度目かの会談の後、帰りの廊下で偶々ウィンター氏と二人きりになった際に彼が

「ケン、ちょっと……」

と言って我輩を呼び止めた。

「ケン、今度鵜殿氏が駐米大使に任命されたという知らせを受けた時、大統領は私に何と言ったと思う? 『私と鵜殿氏は共に海軍のメシを食った仲間だ。しかしそれ以上でも以下でもない。個人の感情などは全て打ち捨てて交渉してくれ』と言われたよ」

と何気ない顔でこっそり打ち明けてくれた。

当面の交渉相手のウィンター氏は大統領と我輩のご主人の関係を当然知っていたが、なぜ彼がこの時点で我輩にこっそり耳打ちしたのだろうかとその後色々と考えた。

それはきっと会談している時の我輩のご主人の物の言い方、言葉の響き、態度、物腰のどこかに、

「儂と大統領は海軍仲間で昔からの知り合いだから儂の言うことなら全部聞いてくれるに違いない」

とか、もっとズバリ言えば、

「儂が来たからには大統領はもっと好意的に日米関係を調整してくれるはずだ」

という一種の甘えの空気をウィンター氏が敏感に感じ取り、交渉のやりにくさをそれとなく匂わしたのではないかと思う。信任状の奉呈に大統領を訪問する前日、大統領が米国のマスコミに我輩のご主人をmy old personal friend(私の古い個人的な友人)と紹介したことで我輩のご主人が舞い上がったのかも知れない。