第一部 日本とアメリカ―対立—
第二章 緊張の始まり
ペテン師の踊り
この騒動の発端は前年一九四〇年末、カトリックの海外布教を目的に一九一一年に創設された某宣教会のスウィングラー司教(創設者の一人)とジャグラー神父という二人の米国人が日本の港に降り立った時に始まっていた。
詳細は後日知ったことだが、この宣教会の大口寄付者は時の大統領の熱烈な支援者で当時の郵政長官。宣教会が集めた資金の運用受託先はこの大口寄付者の友人が共同経営を勤めるクーン・レーブ商会。日露戦争の資金調達で日本でも名高い金融業者。
当然政府、大蔵省との関係も深い。こうして大統領、彼の支援者、金融業者、日本政府、大蔵省、日本の政治家……と、背後の糸を手繰っていくと宣教会とは関係の無いところで個人的にうごめく人物の相関関係が分かろうというもの。
その意味でこの二人は神に仕える敬虔(けいけん)な聖職者というよりもむしろ政商か詐欺師に近いと観た方が当たっている。キリスト教徒であれ、仏教徒であれ神や仏に仕える人が人生の導師として政治家に接する分には何の問題もないが、政治家の意向を受けて政治そのものに口出しすると厄介なことになるのは洋の東西を問わない。
この二人の介入時期は日本が米国との関係を苦慮し始めた時期と符合する絶妙なタイミングだった。お決まりの米国人のお節介パターンだ。
詐欺師は機を見るに敏(びん)で、タイミングの測り方も正鵠(せいこく)を得る必要がある。そのため、知能指数が高くないと詐欺師の仕事は務まらないのは万国共通で、知能指数が低い我輩は逆立ちしても詐欺師になる資質がないことをこの時改めて認識した。
米国人特有の〝余計なお節介〟と〝ペテン師根性〟を神に仕える敬虔な仮面で覆い隠したこの二人はクーン・レーブ商会の紹介状を携えて来日し、日本の政財界のトップを訪問しては日本と米国の国交調整役を申し出た。
その主要なポイントは、
一 英独戦の開始で米国の世論が激昂。下手すると日米間にも飛び火の危険あり。
二 日米共同で極東モンロー主義を宣言して欧州と共産主義の二つを切り離す。
三 その上で日支問題の解決(満州国の承認)、仏印、蘭印の整理。
四 可能であれば、日米首脳会談をホノルルか東京で開催。
という。