なお、そうした力は、人々を取り巻く環境が変わっていく今後も重要であると考えられます。
先述の、いわば、学校における学習の大きな変化について、「どうすればよいのかという不安もあるかもしれないが、それ以上に学校教育の活性化を促す起爆剤としての期待が大いに感ぜられる」5)として、その活性化の要因として、①「自己投入し、体ごとぶつかっていく活動的な学習の姿」、②「意欲的な学習のエネルギー」、③「子供主体の創造的な学習の展開」が挙げられ、そこには従前の教科等の学習には見られなかった子どもの姿を見いだすことができるといいます6)。
「変化の激しい時代を『主体的に生きる』には、この社会の現実をみてとり、自分の周辺の切実な課題に取り組み、判断し、行動し、その行動に自己責任をもつことこそ必要となる。学びは自己を確立し、自立を図るためにある」7)のであって、「社会体験、観察・実験、見学や調査、発表や討論、体験的な学習、問題解決的な学習が積極的に展開できるように学習課題や活動を適宜設定する必要」がある 8)といえます。
また、「体験」については、「昭和40年代以降、子供の体験の喪失が顕著となってきた」9)という指摘があります。そして、この体験は、「教科によって仕切られるものではない」10)といいます。
さらに、「教科」については、〈2-1〉で後述しますが、「総合的な学習の時間」が導入された当時に、「教科」というものに関して、以下のような指摘 11)がありました。
“いま学校が問われているとき、学校のどこに問題があるかを見いだす重要な手がかりとなる。すなわち、問われている学校では、何がなされているかである。端的にいって、これまでの学校は各教科の教育が中心の学校なのである。各教科の教育が大部分を占めている学校が、いま問われているということである。では、これまでの教科中心の学校のどこが問われているのか、それをどう克服しようとしているのか。総合的な学習は、この伝統的な学校教育に対する問題提起なのである。”
1) 児島邦宏・羽豆成二編『小学校「総合的な学習の時間」研究の手引』明治図書、1997、p.9.
2) 同上。
3) 北俊夫『「総合的な学習の時間」の学力と評価技法の開発』明治図書、2001、p.9.
4) 高浦勝義『総合学習の理論・実践・評価』黎明書房、1998、p.10. 参照。
5) 前掲書 1)、p.1.
6) 前掲書 1)、p.1.
7) 前掲書 1)、p.9.
8) 前掲書 4)、p.15.
9) 中野重人・廣嶋憲一郎編著『自ら学ぶ「総合的な学習の時間」のつくり方』東洋館出版社、1999、p.9.
10) 前掲書 9)、p.9.
11) 前掲書 9)、p.14.