【前回の記事を読む】「知識を頭の中に貯えて終わり」の学習を是正するためには?
1 変化の激しい時代に向けた教育
1-2 総合的な学習
そして、そうした教科の問題点についても言及されています。いま学校が問われているのは、この伝統的な分科の教育が問われていることに外ならないのである1)。
教科教育の課題のその一つは、各教科がそれ自体独立しているものであるかのように考えられ、他の教科等の教育とかかわりなく展開されるということである。
教科の専門性2)が強調され、教科は子どものためにあるというのではなく、まず、教科ありきという状況をつくり出してきたのである。
そこでは、教科内容に強い教科プロが尊重され、それがひいては、教科エゴをつくり出していくのである。その二つは、分科の教育は子どもの側からの発想や社会の変化への対応に弱いということである3)。
各教科の内容は、教育の全体構造の中に正しく位置づけられてこそ、その効果を表すものであって、個々の領域の体系や系統性ばかりを追究していくことは、かえって全体的な構造を偏ったものにする恐れもある(後略)4)。
「技能は高くなれば高くなるだけよい」というような暗黙の前提がありますが、そうした「専門性」に通ずることに終始するのではなく、教育活動には「目的・ねらい」が大切です。
そうしたことを踏まえたとき、大学は専門教育ですが、その中でも教員養成に関わる大学においては「教員として子どもの教育に携わる」ことを考慮せずに専門性を高めることに留まってはならないといえます。
「総合的な学習の時間」は、「従前の各教科等が目指してきた子ども像とは異なる子ども像を打ち出している」5)のであって、子どもの立場からいえば自然体験であれ、社会体験であれ、総合的な活動であれ、各教科に分割できないものを含んでおり、また、現代社会の急激な変化は、従来の教科区分では対応できない課題を提示6)しています。
そうした条件下においては、思い切って「活動それ自体を目標とする学習」7)を設定する形で子どもに時間を返すということも考えられます。「総合的な学習の時間」における内容に関しては、当初、規定することは見送られました8)。
教育現場における、教わったようにしか教えられない、あるいは教科書がないと困る、といった風潮の有無は定かではありませんが、内容の例示があると安心(これも、先に触れた、教科の内容を暗記させていく教育観と関わりがあると考えられます)であり、「学習活動として『例えば、国際理解、情報、環境、福祉・健康などの横断的・総合的な課題、児童生徒の興味・関心に基づく課題、地域や学校の特色に応じた課題などについて、適宜学習課題や活動を設定して展開するようにすることが考えられる』と言及」9)されると、そうしたテーマばかりが設定される様子が頻繁に見られるようになってしまいました。
しかし、「『総合的な学習の時間』においてのみならず、この時間と他の教科等との連携においても、横断的・総合的に学習指導されるべきことが期待されている」10)ことを念頭に置かなければなりません。