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【前回の記事を読む】「基本的に重力は空間自体の加速現象とみなせる」重要なのは「基本的ではない」部分ではないか
第1部 相対論における空間の問題
2 思考実験という話芸
時間の前後を切り捨てて、部分的に同じであるとすることに科学的な意味も有効性もない。動きというものを静止画に封じ込め、そこに描かれている絵が同じであれば同じものであると言いたくなるかもしれないが、しかし現実には違う。
4秒間自由落下したエレベータと10秒間のそれとでは、地表にぶつかるときの衝撃がおのずから違うはずではないか。これに対し真の無重力状態にある物体は4秒間の静止と10秒間の静止ののち、これを動かそうとするときに違いはない。
つまり動くものにはエネルギーの出入りと正確な時間経過が書き加えられるのであって、だからこそ力学なのだ。動いているものは、その動いている時間の長さが問題になるし、重力が関わることでは必ずどこかで運動が終わる。
その必要のない無重力空間中の静止とは当然違う。それとも、地表で静止状態にある物体は地球に対し等速並進運動をしているだけであって重力にさらされているわけではないと言うべきなのだろうか。あるいは、地表の岩石は常に同じように見えるが日に日に重さを増しているとでも。それは明らかにばかげた話だ。しかしエレベータの思考実験の主張は、そういうことなのである。
エレベータ内での搭乗者の感覚という、簡単な問題設定が参加を促すのか、この思考実験を取り上げる反論を比較的多く見かけた。エレベータの移動と重力は同一視できないという主張は比較的たやすい部類なのかもしれない。
もちろんそれは正しいのだが、もう少し進めた視点が必要に思われる。エレベータの移動という現実と、空間の移動という一般相対性理論の概念に理論的な結びつきが本当は存在しないため、現実論への否定が、中心の観念論的部分に対する否定に直結しないということだ。
理論ではなくイメージによる飛躍が2つをつないでいる。つまり、反論者たちが間違っていて、エレベータ内の物体や光のふるまいがアインシュタインの言う通りであるとして、それでも重力は空間の歪みであるという説が裏付けられたことにはならないということが正しい洞察なのだ。