【前回の記事を読む】詐術に過ぎない…エレベーターを使った「相対論の空間把握が最も見えやすい思考実験」

第1部 相対論における空間の問題

2 思考実験という話芸

また、この描像は上向きに移動しようとするエレベータ(の床)の力に対する物体の抵抗であり、ここにかかる運動エネルギーはどちらかと言えばエレベータ(の床)が地表から離れようとしている力になる。要するに重力は斥力であることになってしまう。

一方の自由落下する物体の場合だが、空間の何らかの動きが重力を生むということであれば、地面と物体は常に同じ距離にあらねばならないだろう。なぜなら空間とは物体と地面をはるかに超える全体のことであって、地面と物体間の距離ではないし、ましてや物体の周囲にエレベータの箱のごとききれいな境界が描けるわけではないからだ。

人が地面に立って、目の高さから物を落とすとして、なぜ人は縮まず物と地面の距離だけが短くなるのか。地球の引力が空間の伸縮作用によるものではないからだ。人も同様に引っ張られており、それは体の各部分で空間の上方向への移動が生じているからである、などということが信じられるものだろうか。

誰にも理解できる重要なことは以下の通りだ。エレベータの内外が連続した、1つの空間であるからこそ疑似的な重力や疑似的な無重力を、人工的に作ることができるのであって、エレベータは決して相対論のいう意味での独立した運動系などではないし、ましてや独立の空間を内部に持つわけではない。

ところで、この有名な思考実験が披露された論文では初めから「局所的に一致する」という遁辞(とんじ)が使われている。なんのことはない、空間の歪みは重力の十全な説明にはなりえないと言っているのだ。

不思議なことにこの逃げによって、アインシュタインは十分に理解したうえで不一致の部分を除外したという気持ちに、読者は誘い込まれてしまうようなのである。誰も局所的でよいという理由を問わないのだから、たぶんそうなのだろう。

でも、アインシュタインはその部分について考える気はなかったのだと思う。だが支持者が放っておいてよいはずはない。

結果として、人は重大なことを考慮の外に追いやってしまい、「基本的に重力は空間自体の加速現象とみなせる」という、非常に不合理な考え方を支持することになる。除外された「基本的ではない」部分のほうが、もしかしたら重要かもしれないではないか。