彼はなにを除外したか。重力と、重力のない場所で上向きに加速されるエレベータが同じであるはずはないのだ。なぜならエレベータをそのまま加速し続けるなら容易に光速度に近づいてしまうことになり、相対論が正しければ中にある物体はすぐにとてつもなく大きな質量を持つことになる。

これに反して地上にあるものは数億年、数十億年重力にさらされ続けながら、そのままの状態だ。なんなら、永遠に安定した状態であることも想像できる。たとえば1つの惑星が何らかの事故で主星の引力圏を離れ、幸運にもあらゆる他の星との衝突を免れて放浪を続ける、その表面に置かれた岩。この岩にかかる重力の状態を、永遠の加速下にあると見立てることはさすがに無理だろう。

地表にある物体にかかる力を強いて理念としてまとめるなら、以下のようになる。地球から逃れようとする動きに物体がさらされており、それに対する抵抗が物体の質量を生む。そしてその全体が空間の歪み(収縮)で常に地球の側に引き寄せられ、結果として安定した場所(地表)にとどまり続ける、といったあたりだろうか。

しかしこれは現実の物体に対して余計な観念をいろいろ付け加えすぎていて、ほとんど説明能力を失っている。繰り返すが、この意見では重力は斥力ということにしかならない。

かたや、自由落下を利用して作る無重力も、エレベータはいずれ地表にぶつかる。つまり、この思考実験のそれぞれの場合において、人工的な重力、人工的な無重力の側は永遠に続けることが不可能な作業であって、しかも不可能な理由というのが、作業を続けると質量が無限大になってしまうという理論内部の事情なのだ。

これに対応する、地表に重力を受けつつ静止する物体、無重力の虚空中に浮かび続ける物体はあくまでそういう奇跡的な状況があり得たらという前提を置くにしても、永遠に続くことが可能である。つまり「重力=加速度」ではないのだ。