【前回の記事を読む】疑似重力と空間の関係について考える。私たちは空間の誤った認識に囚われている?

第1部 相対論における空間の問題

3 移動する列車と同時性の問題

列車を使った思考実験はたびたび目にする。相対論を肯定する側からはたとえば「相対論の正しい間違え方」(木下篤哉、松田卓也共著、2001)があり、否定する側には序文で名前だけ出しておいたアルテハの著書などがある。

ここで問題にされているのは同時性ということだ。車両の内部の人間と外部の視点とで、時間認識が変わるということが相対論の言い分になる。その変わるはずの時間認識を二つながらに肯定するところにパラドックスが生じる、しかしそのパラドックスの存在こそが相対論の偉大さを証明する、という結論である。もちろんアルテハらの反対意見では、統一的な時間軸で語れるはずだということになる。

エレベータの思考実験では疑似重力を説明するために、箱の内外が全く物理的に孤絶した「空間」であることを強調するという戦法を取っていた。あえて言うなら、印象操作していた。

移動する列車でもこの基本的な論点は同じだ。列車の内外を全く別の時間軸で語れる空間とみなすところから始まる。したがってこれは時間が争点であるように見えて、実は列車内が独立した空間であるという錯覚に頼った、ある種のだまし絵的な物語だ。

思考実験と自称するこの問題が、どの程度相対論の基本を反映しているか不明な段階で、それに対する意見が相対論自体への批判として成立するかどうかは見極めにくいところがある。ただし有名であるし、エレベータの思考実験に続いて相対論の空間把握の欠点を表していると思われるのであえて取り上げることにする。いろいろな形があると思うが、以下のようなものとして理解する。

〝列車の内部の前後にランプをつけ、同時に点灯させる。中央に立つ人はこれを同時に点灯したものと認識する。駅に停車中ならば、中の人とホームに立つ人、どちらにとってもその瞬間は同時と言えることは確かだが、この列車が動いている場合には2つの「瞬間」には‘ずれ’が生じる。運動系においては時間の進みが遅くなるからである〟