はじめに
『思春期の子どもたちにとって「居場所」がないことは「死」を意味する』
非行少年の背景には両親からの愛情不足がある、という説がありますが、私は少なくとも両親からの愛情は受けていました。しかし、その愛情を素直に受けとめることができませんでした。最初にぶちあたった壁は「母の壁」。子どもが親離れをしようとする時、彼らが失敗することを恐れる母親は、壁となってそれを妨げます。私の母親はその典型でした。また、母からの愛情が強すぎるが故に、過度の期待が重圧としてのしかかり、愛情の受容体が変形します。
結果として愛情を伝えることも受け取ることもできず、母親以外の人に愛情を求め、家庭の外に居場所を探すようになっていく。こうやって私は曲がった道を歩むようになるのですが、そのような子どもたちは少なくないのではないでしょうか。そしてこの傾向は感受性が豊かな子どもに強く現れるような気がしています。
♪居場所がなかった 見つからなかった 未来には期待出来るのか分からずに(浜崎あゆみ A Song for ××)
歌姫として不動の地位を築いた彼女も、昔は居場所探しに奔走した1人なのでしょうか。彼女の歌声や歌詞は、当時の私に苦しんでいるのは自分だけではないのだと、生きる力を与えてくれました。母との関係がうまくいかず、家出少女というレッテルを貼られた私は居場所探しに奔走しますが、落ち着くところは同じような環境の仲間、つまり非行少年たちのところです。
深夜に柵を乗り越えて市民プールに服のまま飛び込んだり、友達を塾に迎えにいった合図にバクチクを鳴らしたり、とにかく無茶苦茶なことをやっていたのですが、それが楽しくてたまらなかった。だって居場所があるから。私が私として認められる場所があるから。
この時期は世の中の大人すべてに不信感や嫌悪感を抱いていました。恐らく関わっていた大人たちも私のことが苦手だったに違いありません。そういった中、私と向き合ってくれた数少ない大人の1人が当時の私の主治医、神代先生でした。まさか彼女が将来の上司になろうとは……。当時の私が容易に心を開くことはありませんでしたが、小児科医の仕事の範疇を超えて私に向き合ってくれたという事実が、更生しようと思った時の大きな支えとなります。
通っていた私立高校は退学になってしまいましたが、定時制高校や通信制高校に通って何とか高校卒業の資格を取りました。その後派遣社員として働き始めた運送会社で、頑張れば頑張るほど、評価されることに気づきます。それまで何をやるにも後ろ指をさされるのが当たり前であり、褒められることに慣れておらず、始めは困惑しましたが、徐々に居心地がよくなってきました。そして気づきます。居場所はこうやって作るものなのか、と。
子どもが夢を追ったり、学校で勉強をしたり、普通の生活ができるのは、彼らに居場所があることが前提です。彼らにはありのままの自分でいられる場所が必要なのです。そして彼らは大人が思っているよりも賢く、繊細であり、そして親や教師の体裁やことば1つ1つに敏感です。私は高校の担任から「腐ったみかん」とあだ名をつけられました。純粋であるが故に、歪んでしまった思春期の心は、自分は好き勝手やっているにもかかわらず、大人の間違った行動は微塵も許せません。そして一生忘れません。
そのような子どもたちは、社会が作りだした被害者なのかもしれません。道を踏み外しそうな子どもが周りにいるなら、どうかうっとうしいなんて思わず、まっすぐに向き合ってあげてください。時間はかかるかもしれませんが、彼らを信じる周囲の大人たちの想いが、立ち直ろうとする時の糸口や突破口となるはずです。この本を書くにあたり、感情が伝わりやすいように、敢えて言葉や感情をできるだけ当時の私に近づけています。
冷静に考えられるようになった今、自分で読み返しても恐ろしい文面や衝撃的な内容も含まれていますが、ご了承ください。