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再会と別れ
ある日、妹から連絡が入った。
「お母さんが入院した」
当時母と2人で暮らしていた妹によると、どうやら母の乳癌は進行しているらしかった。だから手術しろって言ったのに。そんなこと言ってももう仕方がない。私は孫を見せてあげなくてはならないような気になり、そしてそのような状態の母を妹にすべて押しつけていることが気がかりだったこともあり、母が入院している病院に行った。公衆電話からゆっくり立ち上がる母が見えた。
「お母さん!」
母は聞こえているのかいないのか、そのまま病室に入った。無視されたのかと思い、そのまま帰ろうかとも思ったが、私ももう母親。逃げてばかりはいられない。もう一度声をかけた。
「私、医学部受けるから! それまで死なないでね」
その頃、母の癌は肺や骨まで転移しており、少し歩くだけでも息切れが強いようだった。突然の娘の訪問に驚いたようだが、もう怒る気力はないようだ。
「それはわからんね」
こんな弱気な母を見るのは初めてだった。その日から私は定期的に母のもとを訪ねるようになった。状態が少し落ち着き、母は一時退院した。当時母と妹は小さなアパートに住んでおり、そのアパートに泊まることになった。その日妹は友達と出かけていていなかった。
「あきちゃん、牛肉が苦手だから、今日は久しぶりに食べるわ」
牛肉の野菜炒めを作りながら母が言った言葉に私は衝撃を受けた。妹の名前は明子。まず妹を「ちゃん」づけで呼んでいるではないか。私はちゃんなんてつけて呼んでもらったことはない。そして牛肉が苦手だと。私は苦手な椎茸を残そうとすると、食べるまで毎日毎日食卓に上がっていた。吐いてでも食べることを強要されていたのだ。
「あっこのこと、甘やかしてない?」
私は妹をあっこ、と呼んだ。
「あら、そうかしら」
こんな会話をしながら、実はとても嬉しかった。甘やかすことがいいことだとは思っていない。ただ妹の居場所がそこにはあったのではないか、と思えたのだ。私と同じような環境で育った弟は、私と同じような道を歩んだ。しかし妹は全うに生きた。その理由が頷ける瞬間だった。平凡な会話。談笑。ただそれが愛おしく、貴重な時間だった。