「……やっぱり髪を生やすなんて、無理なのかなぁ」
闇の中で亀ヶ谷さんがつぶやいた。
「……夏みかんの匂いがする」
「……ええ、親が持ってきた夏みかんです。もらってずっと、そのままにしていました」
「……せっかくだから、それ使おうよ」
「……それって、夏みかんをですか?」
「……うん」
「……民間療法ですか……。そういえば両親もビタミンをうんと摂れって、六個も置いていきました。やっぱり育毛には、ビタミンCが効くんですか」
「……わたしが期待しているのは、皮の部分だよ」
「……皮?」
いったい、皮をどうしようというのか。僕の疑問に答えるように亀ヶ谷さんは続けた。
「……たぶん、来見谷さんの場合、男性型脱毛なわけだよね」
「……ええ。M字ハゲですから」
「……だったら、男性ホルモンが関与しているわけだね」
「……間違いなく」
「……みかんの皮にはリモネンという物質が入っていて、このリモネンには5α リダクターゼの働きを阻止する作用があるというんだよ」
「……ああ……5αリダクターゼって、聞いたことある。毛根にある酵素か何か……ですよね?」
「……そう。男性ホルモンの中の成分と結合することで脱毛物質をつくってしまうというやつ」
「……それで……その皮をどうすればいいんですか?」
「……とりあえずは全部食べて、皮を乾燥させる。乾いたらホワイトリカーに漬けこむ。わたしは今、四十五なんだけれど……三十のときに一気に薄くなって、それが三十五で治ったんだよ。そのときにやっていたのがこのみかん酒と食事に気をつけることだったんだよ」
「……亀ヶ谷さんが、ですか。よし、今から食べます!」
「……そうあわてないで。今夜は寝て、明日からにしよう。ビタミンの摂りすぎは、眠れなくなるっていうし……。髪は、午前零時から二時までの間につくられるらしいよ」