本気で辞めようと思っているわけではないとは思いつつも、本当に辞められたらどうしようという思いもよぎる。まず、授業に穴があいてしまう。年度途中では次の人はすぐには見つからない。生徒も困るし、保護者も不安になる。

けれども、こうしたとき彼らは、自分のやったことは間違っていないという、ある種の“信念”を持っている。だから、管理職だけでなく、生徒や保護者の声にもなかなか耳を傾けようとしない。

また、ベテランにはICTに滅法弱い人が多い。弱いなら弱いでなんとかしようとするならいいが、逆に「ICTが学校教育をダメにしている」と公言する人もいる。これも、自分の経験に基づいた“信念”として語る。

最近では、学校もICT化が進み、生徒や教員に一人一台の端末(タブレットなど)が配布されている。これによって、授業中に学習アプリを使って生徒が自分の理解度に合わせた練習プリントが選択できるなど、効率的に学習効果をあげることが可能になった。

教員の業務改善にもプラスの効果がある。これまで家庭からの欠席連絡は電話で対応していたが、いまでは保護者の端末から直接入力が可能となり、職員は朝の忙しい時間帯に手を取られることが少なくなった。

また、その日の連絡事項をタブレットに入力することで、朝の打ち合わせを大幅に短縮することもできる。これは生徒指導上大きな意味を持つ。長々と連絡を交わしているうちに、教室で生徒間のトラブルやケンカが始まることもあるからだ。

このように、これからの学校はICT抜きでは語れない。しかし、人は未知のことを前にすると不安になるものだ。ベテランである彼らも、よくわからないICTを前にして不安を募らせている。自分は、この流れについていけるか、これまで自分のやってきたことが否定されてしまうのではないかと感じている。

“信念”と“不安”は小学校でも同様に存在する。

コロナ禍にあって緊急事態宣言や、まん延防止等重点措置がいつ出されるかわからなかった頃、卒業式をできるだけ時間を短縮し、校歌などの歌唱も自粛するよう、教育委員会から連絡があった。

ちょうどその頃、どこかの県で合唱コンクールを実施した学校でクラスターが発生したことが報じられた。教育委員会の判断は間違っていなかっただろう。