四 相対化の正体
―学校相対化の中で生徒をどう理解するか―

(1)生徒を理解するとは

しかし、それは大きな間違いだ。人が人を完全に理解するなど理論的にも現実的にもあり得ない。人はすべて変化を続けるものだからだ。

ゴールがあるとすれば「生徒=被観察者」が、「教員=観察者」を理解者だと意味づける〝瞬間〟だけである。だからこそ、私たちは継続して生徒に関わり続けなければならない。「理解」はその中にこそある。

(2)不登校の正体

生徒理解が生徒の主観的な意味連関にまなざしを向けることであるとしたとき、その意味連関に含まれた社会からの影響を無視することはできない。生徒は、常に社会からの影響を受け続けている。

前章で述べた〝まさか〟と思う出来事は、公立学校に対する社会のまなざしが変わったからだ。こうしたまなざしの変化こそが相対化の正体である。

不登校現象も生徒や保護者によって「学校は必ずしも行かなくてはならないものではない」として、登校を選択肢の一つとするまなざしによるところが大きい。

不登校はかつて登校拒否と言われた。学校現場では、あくまでもそれは個人の資質によるものであり、多くの教員が、ある種の〝病気〟として解釈し、母子分離不安が最大の要因だと考えていた。

この病気という解釈は、登校拒否が稀だった頃には、学級担任にとっては、ある種の救いとなった。

クラスの生徒から

「〇〇さんは、なぜ休んでるの?」

「サボっているんじゃないの?」

というストレートな質問をされても、病気となれば説明しやすい。しかし、それは間違いであった。

登校拒否研究の第一人者ともいうべき佐藤修策氏は、当初登校拒否が都市圏を中心とした小学校の低学年に固有の問題であったことから、その原因を母子分離不安に求めていた。

しかし、次第に小学校高学年や中学生にも広がっていく状況をみて、登校拒否が母子分離不安だけでは説明できないと感じるようになった。

その経緯について佐藤氏は次のように語っている。

「イギリスの登校拒否(school refusal)の概念を拝借して、そこに神経症的とつけた。神経症的というのは、登校に不安を持つという意味です。登校拒否という言葉を使ったのは、子どもが主体的に登校を拒否しているとみていたからです。

主体的な拒否ではないという批判もありましたが、本人が意識できるかどうかは別にして、主体的な行動としてしか理解できないんですよ。なぜなら、客観的には、家庭にも周囲の状況にも登校を阻害する要因が見当たらない。

本人の心身の状態も異常がない。とすれば無意識なレベルでの本人の主体的な自己主張だろうと。つまり、病気ではないということです」

(「全国不登校新聞」、二〇一六年七月一五日、一〇頁、傍線は引用者による)