一 教員の”信念”と“不安”

管理職を試すベテランもいる。赴任したばかりの教頭は、その学校のことなど詳しく知っているはずはない。それがわかっていて敢えて質問する。

「教頭先生、〇〇の対応はどうします?」

そういうとき、管理職の仕事に慣れていない新任教頭は、すぐに答えを言ってしまう。それが別の含みを持っていることに気づかないからだ。

ベテランはすでに答えを持っている。それでも聞いてくるのは「今度の教頭はどこまで考えているのか」と探りを入れているのだ。中途半端に答えると「じゃあ、こういう場合はどうします?」と聞いてくる。答えれば答えるほど質問が続く。特に教育委員会からの“天下り”教頭には当たりがきつい。いわば“洗礼”である。

本当に困っているときも、詰問するような言い方になる。目の前の問題をいかに解決するかよりも、自分の困っている状況をとにかく聞いてほしいという気持ちを優先する。

それに対して具体的にどんな指示を出したとしても、納得するどころか、どんどん不機嫌になっていく。自分の気持ちを十分に聞いてもらってからでないと仕事が手につかない。

そうなるとどうしても話が長くなる。とにかく自分がどれだけ努力し、どれだけ多くの仕事を抱え、どれだけ周囲に気を遣っているかを語ってからでないと話の核心にたどり着かない。

それを途中で「先生、いったい何が言いたいんですか」とか「結論を先に言ってもらえますか」などと遮れば、「今度の教頭は何も話を聞いてくれない」となる。

こういうやりとりも“不安”が為せる業なのである。今度来た教頭は、自分たちのことをどれだけ理解しようとする人なのか、自分たちの“信念”に共感してくれる人なのか、否定的に捉える人なのかを確かめないと不安なのだ。