一 教員の”信念”と“不安”

どんなに経験を積んでいても、管理職にならなければ管理職の視点はなかなか持てないものだ。彼らはそれに薄々気づいているから、危機感だけが先に立って不安になり、校長に問題提起をしてくるわけだ。

私は、彼らが管理職にならなかったことを批判するつもりはない。けれども、自分が管理職ならどうするかという視点が十分であるとはいえず、あくまでも教諭としての視点で物事を判断しようとする。

そこには、彼らにとって捨てられない成功体験がある。かつて校内暴力が激しかった頃に第一線で活躍した自負もある。残念なのは、そうした成功体験は社会が大きく変化している中で、そのまま通用するとは限らなくなっているという現実を受け止められないでいることだ。

あるとき、一人のベテラン教員が、定期テストの基本問題で間違った生徒を小馬鹿にして親から苦情が入った。校長室で事情を聴くと

「そんなことくらい管理職でなんとか収めとけばいいだろう。私は生徒の奮起を促そうとしただけだ」

と主張する。正解が書けなかったことを責めたのではなく、普段の取り組みに問題があったことを指摘しただけだと言うのである。

一昔前なら、親分肌の校長が「俺が守ってやる」として、事を大きくしないこともできたかもしれない。しかし、いまは違う。起こった事案の内容以上に「隠そうとする」姿勢が厳しく問われる。

「いやいや、あのね、先生、教室で“お前、こんなもんもわからんのか”って教室で怒鳴ったでしょう。それで子どもが傷ついているんです。それは明らかに暴言ですよ。最近では暴言も体罰として扱われますよ」

と言ったら、おそらくこう言うのである。

「いいですよ。じゃあ辞めますよ」