第一部 日本とアメリカ対立—

第一章 日本行き、そして帰国

決心

しかし乾杯をしながらも、我輩は我が柴犬種族の世界観から判断して我輩のご主人の決断には心なしか不安と疑念をぬぐえなかった。それらは最後の最後の場面で的中する。

第一に、我輩のご主人の性格が不向き。日米が最も深刻な緊張関係にあるこの時期に”お人好しで押しの弱い人間”では務まらない。

第二に、我輩のご主人は運が悪い。過去行く先々でろくな目に遭っていない。日露戦争では乗艦が暗礁に乗り上げて沈没し、泳いでいたところを危うく救助された。

上海事変では爆発で右目を失明。一年前の外相就任は第二次世界大戦の勃発直後という運の悪さとタイミングの悪さ。しかも貿易省の設置案(商工省の貿易局+外務省の通商局の合体案)では毅然とした態度で外務省の省益を守る気概も示せず、幹部職員全員の辞任問題を引き起こすなど就任直後から組織の管理能力の欠如を露呈。

その上、外相の任期もわずか四か月の短命と、やることなすこと全てにツキがない。組織のトップは運の良い人間、運に恵まれている人間がなるべきで、運の悪い人間が組織のトップになるとその組織全体の運まで悪くなるからトップに据えるべきではないというのは昔からの常識。

第三に、我輩のご主人は”外交は素人”と自認していた。単なる逃げ口上でなく心底そう思うならば外交に関与すべきではない。外交は「嘘と実の区別がつかない人」かまたは、「その区別がついた上で、嘘と実を隔てている壁を平然と行き来できる人」かのいずれかがやるべきで、真面目だけが取り柄の人間がやるべき仕事ではない。

第四に、我輩のご主人は他人のおだてに乗り易く、人間が軽すぎる。”米国留学”とか”駐在武官”などとおだてられては目尻を下げ、”知米派”、”米国通”、”国際派”、”英語が堪能”、”米国に知己が多い”、”時の大統領と親しい”、挙句の果てには”国際法にも明るい”などと訳の分からぬ単純分類をして喜ぶ日本のマスコミに簡単に乗せられるような尻軽男ではとても人間ができておらぬ。