第一部 日本とアメリカ―対立—
第一章 日本行き、そして帰国
決心
かてて加えて我輩のご主人の話す英語の発音でも恥ずかしい思いは沢山ある。日本にいる時、米国の友人が我輩のご主人を訪ねてきた時など恥ずかしさに耐え切れず思わずそっと席を外したこともある。
例えば、Tea Partyは「チー・パーチー」となる。我輩は最初「チンパンジーがどうかしたのか」と思ったが違った。
Connecticutは「コンネクチカット」となる。てっきり「こんにゃくを切ってどうかしたのか」と思ったらこれも違った。
この程度の人がマスコミのペンに掛かると“国際派”、“海外に何年も住んで英語も堪能”という評価になる。笑止千万だが日本社会の悲しい現実だと言わなければなるまい。
尤も、米国の英語(米語)も奇妙な発音があり、この点では日米双方痛み分けだと我輩は思っている。正しく発音しても(或いは、発音しているつもりでも)全く通じないのに、日本語で素直に発言したら一発で通じる場合が時々あるからややこしい。
例えば「water、ウォーター、水」の発音。昔、我輩のご主人一家と一緒にレストランに入って、我輩が
「ウォーター、プリーズ」
とウェイターに何度注文しても全く通じなかった。すると、直ぐ横に座っていた我輩のご主人のお嬢さんが、
「あら、ケン坊が英語で注文しても通じないんだね。じゃ、思いっきり日本語で藁(ワラ)!と言ってごらんなさい。直ぐに通じるから」
と教えてくれたので、早速日本語で
「藁(ワラ)プリーズ!」
と言ったら一発で通じた。ニヤニヤ笑っている我輩のご主人とクスクス笑っているお嬢さんをよそに感心すると同時に悲哀を感じたものだ。そういえば、外務省某OBの回顧録にも似たような話が紹介されていた。詳細は覚えていないが、なんでもその要旨は
「英語が上手に話せないのに一人でバスや路面電車で動き回る日本の旅行者に『よくお一人で目的地に行けますね』と言ったら、『な~に、簡単です。英語は読めますから地図を見て降りたい場所に近づいたら大きな声で車掌さんに“揚げ豆腐ひや!”と叫べば確実に降ろしてくれます』」
という話だった。なるほど、確かにI get off here.(揚げ豆腐ひや)だ。恐らく読者の皆さんにも同じ様な場面が他にも沢山あるに違いない。ここまでくれば英語も日本語もあったものではないが日常生活で話す英語と外交や仕事の交渉の場で話す英語とでは自ずと違うことを認識しないといけない。
色々と紆余曲折はあったものの、結局、一九四〇年の末に正式に駐米日本大使に任命され、明くる年の一九四一年一月に日本を出発することになった。こうして、我輩も数年ぶりで米国に帰国することになった。但し、行先は生まれ故郷の西海岸ではなく、東海岸の首都、ワシントンD.C.に行くことになった次第である。