第二章 緊張の始まり

船旅と列車の旅と最初の語らい

横浜港を一月二十日に出航、太平洋を横断。途中ハワイに立ち寄り、サンフランシスコに上陸。故郷の匂いを嗅ぐ暇もなく直ぐさま大陸横断鉄道に乗り込んで東海岸に移動し、目指すワシントンD.C.に到着したのが二月十一日。文字通り二十日間の船と列車の旅、それものんびりした旅だった。

この旅の間に我輩のご主人と交わした濃密な語らいについて触れておこう。いわば本著の前哨戦ともいえる語らいだった。我輩のご主人は海軍出身だからさすがに船と海には強い。

船酔いにもならず、“水を得た魚”の如く、実にゆったりと悠揚(ゆうよう)迫らぬ態度で毎日船旅を楽しんでいた。それに引き替え我輩は何を隠そう、柴犬種族の端くれにも拘わらず水が怖くて、泳げず、船にも弱い。波を見ただけで搖動感(ようどうかん)と恐怖感に襲われ、直ぐにめまいがして気を失いそうになる。

これは幼少期に海で溺れ死にそうになった恐怖の記憶が未だにトラウマとして残っているためだ。あれは生まれてしばらく経ったある夏の日だった。当時の飼い主一家と海岸に遊びに行った時、襲ってきた高波を避けきれずガボッと水を飲み込み、一瞬息ができず苦しくなってゴボゴボともがき出した。

その時幸いにも近くで泳いでいた飼い主のお嬢さんが大きな声で

「お父さん、大変! ケン坊が溺れかかっている。早く助けて!」

と大声で叫んでくれたので九死に一生を得た。その時大急ぎで駆けつけてくれた飼い主の泳ぎは見事な【犬掻き】だった。それ以来お嬢さんは、

「犬掻きが本命のケン坊が、犬掻きする人間に救助されたんだよ」

と家を訪れる人に言いふらしておった。我輩はその度に腹が立ったが、【犬掻きする人間に犬が救助された】ことは確かで、どう控えめに見ても褒められたことではないのでじっと我慢した。

いたく自尊心を傷つけられた我輩はそれ以来海に近づかず、泳ぐことも極力控えながら犬生を送ってきた苦い過去を持っている。これもまた人間種族には決して理解してもらえないトラウマだ。この苦々しい思い出があったので我輩はサンフランシスコに着くまでの約二週間という船旅の期間ほど、我が柴犬犬生で陸を待ち望んだことはない。

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