【前回の記事を読む】世界の主導権を握る糸口となった…オランダの「東インド会社」の設立

第二章 産業資本主義

《一》イギリスの産業革命と産業資本主義の誕生

産業革命とは

産業資本とは、一八世紀後半から一九世紀前半にかけての産業革命の結果成立した資本主義的生産の基軸となる資本形態のことであり、主たる資産が産業設備である資本のこと、また、産業とくに工業を基盤とする営利企業のことをいいます。

それでは産業革命はなぜイギリスで最初に起きたのでしょうか。

一七世紀から一八世紀にイギリスの海外貿易は一貫して増大して「イギリス商業革命」といわれました。植民地産品の国内への流入に加え、そのヨーロッパ大陸諸国への再輸出や、雑工業製品の植民地への輸出がその内容でした。

この時期はイギリスにとって最初の植民地帝国拡大期にあたり、植民地産品を大量に輸入したことでイギリス人の生活は一変しましたが、同時に、植民地においても、タバコや砂糖の輸出で利益を得た植民地人は、イギリス風の生活文化をとり入れるため、大量のイギリス商品を輸入しました。

とりわけイギリス商人がイギリス船で行った一八世紀の奴隷三角貿易はイギリスの産業資本の元となったという意味で後の産業革命と深い関連があります。

アフリカ中西部の海岸にイギリス製の毛織物と銃砲類やさまざまな舶来品を陸揚げし、その見返りに黒人奴隷を満載してアメリカ新大陸の西インド諸島や新大陸の各港に連行し、黒人を転売し、さらに植民地の物産を積み込んで、それをイギリスのブリストル、リヴァプールなどの港で高い値段で売りさばきました。

この奴隷三角貿易は、イギリスの海運業と造船業の発展も促すことになり、イギリスには巨大な港湾都市が出現することになりました。リヴァプール港は最大の奴隷貿易港で、奴隷貿易によってリヴァプールに蓄積された資本は、その後背地をなすマンチェスターの工業に投資されたのです。そして、アフリカ向けのマンチェスター物産は、奴隷貿易船が停泊するリヴァプール港から運び出されました。

このように、のちに産業革命の中心地となる都市や港は、すでにイギリス商業革命によって、つまり、奴隷三角貿易によって、繁栄していたのです。

のちの産業革命の端緒となった綿織物は、奴隷貿易の主要な商品としてリヴァプールから輸出され(リヴァプールの綿織物→アフリカの奴隷→カリブ海の砂糖・綿花→リヴァプール)、カリブ海の砂糖・綿花が同じ港リヴァプールに戻ってきていたのです。この意味で大西洋奴隷貿易こそは、イギリス産業革命の起源そのものでしたが、さらに、奴隷貿易が生み出した利潤が産業革命の資金源として、決定的に作用したという見方もあります。