第一章 資本主義の誕生
《二》ヨーロッパ絶対王政と重商主義
絶対王政時代の植民地獲得競争
絶対王政時代には、本国への安価な原料供給地あるいは本国生産品の販売市場、さらに貿易上の拠点を確保するために、植民地開発を行いました。このため、絶対王政国家の間に激しい植民地獲得競争が展開され、ヨーロッパの戦争に連動して植民地でも戦争が行われました。
すでに、一六世紀におけるポルトガル人、スペイン人による中南米の銀鉱山の開発は、現地のインディオの強制労働を基礎にしていました。強制労働を強いられた彼らは、その下で苦しみ、しばしば革命を起こしました。
一六世紀末から一七世紀末にかけて、最初はオランダ人、その後ポルトガル人が支配したブラジルの植民地は、主としてヨーロッパに輸出される世界最大の砂糖植民地でした。
また、いろいろなヨーロッパ列強が争ったカリブ海の植民地からは、まずタバコ、それから砂糖が一八二〇年代に至るまで大量に輸出されました。アメリカのバージニアやサウス・カロライナの農園主は、タバコ、コメ、インディゴを生産・輸出し、一八世紀末からはとくに綿花に集中しました。
生産は大半がプランテーション・システム(単一作物の大規模農園)の形でなされました。このシステムは、世界の他の地域、例えばインド、東南アジア、アフリカの諸地域でも何世紀にもわたって行われました。
現地の労働力が不足し、ヨーロッパとアメリカの奴隷商人により、一六世紀から一九世紀の間に一一〇〇万~一二〇〇万人の男女のアフリカ人がアメリカに送られ売りさばかれました。その圧倒的多数がプランテーションで働きました。
奴隷と並び、とくにアメリカ南部では、一七世紀以来、多数の年季強制労働者が働きましたが、彼らは五年から一〇年の労働を義務づけられた契約奉公人であり、これもまた不自由労働者でした。
この資本主義の歴史が示すことは、資本主義は、奴隷制やその他の不自由労働の諸形態など、非人道的な行為に抗するものを自身のうちにはほとんど持っていませんでした。初期資本主義は金儲けのためなら手段を選ばずでした。