ついに若葉台が子どもたちのふるさとに
子どもたちは若葉台で大きくなりました。もうほとんど若葉台しか知らないくらいでした。長男は引っ越しのときに4歳だったので、前に住んでいた低層の社宅を覚えていて、ときどき「家に帰りたく」なって団地を脱走し、死ぬほど心配させました。長男が幼稚園の頃、まだ個室というのはなく、夜は北側の六畳の部屋に3枚の布団を敷き詰めてごろごろしながら寝るのでした。
ある秋、子どもたちが次々と麻疹になりました。次男は治ったばかりで機嫌が悪く、「あとに残るから搔いちゃダメ」と言われてもぼりぼり搔くのをやめられません。長女は何がおかしいのか布団を顔の上まで引き上げて、ふふふと一人笑っています。
「早く寝ないとだめよ」
その夜も風が強く、遠くでバタンという物の倒れるような音がします。夫はまだ会社から帰ってきていません。家に着くまで1時間半はかかるのです。だいたい1丁目のそばの三保の森にはイノシシも出るというくらいなので、お父ちゃんの帰りが遅いと心配になるのです。
「おとうしゃん、イノシシに襲われてないよね」
「大丈夫よ。襲われてもちゃんと走って逃げられるから」
外の気配にちょっと耳を澄ませました。地表近くで、渦をまくような風の音がしています。上空は星の出ていない暗い夜でした。
それから一緒に横になっていろいろな話をしました。勇ましいチビの仕立屋の話、丸太ん棒を神様と思い込んだカエルの話。そしてご存じ『注文の多い料理店』。
ひゅるひゅると風が谷戸になっている森のほうに吹き下ろし、私は長女を膝の上に抱え上げました。
「おうちへ帰ろうよ」
眠くて不機嫌になった長男がふいに腕をつかみました。小学校入学が近いせいか、ちょっと情緒不安定なのです。
「おうちって、なんのこと?」
下の子たちがびっくりして兄の顔を見上げます。
「ここがあなたのおうちでしょう」
「ちがうよ、ここはビルだよ」
「だからこのビルが、あなたのおうちなの」
答えがだんだん乱暴になってきます。
「前に住んでたのがおうちだよ」
「お兄ちゃん、わからないこと言わないの」
「わからないことないよ」
「それにわかる? あそこはもう違う人のおうちになっちゃったのよ」
長男はびっくりして、私の顔を見つめ、それから顔をくしゃくしゃにして泣き始めました。泣き声はいつまでもやまず、ティッシュで涙と鼻水を拭いてやらなければなりませんでした。
そして、その週末、白根町の社宅を見に行き、何かとうちの子たちを可愛がってくれた近くの家に寄りました。奥さんは相変わらずやさしくて、名前を呼んで「元気?」と言ってくれましたが、長男は恥ずかしがってそばに行きませんでした。
お兄ちゃんはそのあと、「前のおうち」の話はピタッとしなくなりました。そしてその頃から背も伸び少年らしくなって、若葉台が自分のふるさとになっていったようです。