はじめに

「横浜・若葉台の女性たちは、まるで楽園にいるように幸せそうな顔でまちを歩いている……」。

そんな風な記事を何かの雑誌で見かけたのはもうかれこれ30年以上前のことです。ちょうど私たち若葉台団地第一世代が入居して間もなくの頃でした。子育てに必死で身なりもろくに構わずにいたのに、外から来た人にはそんな風に見えるのかと不思議でした。

きっとその頃、私の今住んでいる若葉台はある意味、当時の最先端のまちだったと思います。森の木々の間にいきなり現れるような何十棟もの高層住宅、車と人との完全分離した道路、そして日本には珍しくまちの中心に広場があり、その周りに商店街と管理センターを配したつくり。神奈川県住宅供給公社が横浜市北部の森を切り開き全精力を傾けてつくった理想のまちでした。そして30年後、その夢のような住まいは? またその女性たちは今どうしているのでしょう。

若葉台に私たち一家5人が越してきたのは私が31歳のときでした。それまでは、夫の会社の昔風のこぢんまりした社宅にいました。いずれ出ないといけないのはわかっていましたが、まさか自分たちが話に聞くマンモス団地の住人になるなんて思いもよりませんでした。私は茨城県のひたちなか市というのんびりした所で育ったので、自分が団地に住むというのはまったくイメージできなかったのです。2人目の子が生まれた頃、夫が新聞広告を見ていて言いました。

「近くに若葉台というのができる。そこを見に行こう」

と。私としては、「若葉台? 何、それは」という気分でした。

「高層のマンモス団地らしい」

「マンモス」「高層」そんな言葉を聞いただけでもう気後れがしました。とにかくすごいところらしいから見に行こう、と夫は完全にヒートアップしていて、同じ旭区白根町の社宅から車で30分ほどかけて、家族4人で出向いて行ったのです。まだ90ヘクタールの造成地の半分くらいしかできていない状況でしたが、近づいていくと森の先に突然、高層の建物が連なっている光景には度肝を抜かれました。