当時は、今の若葉台公園遊水池の先に募集センターがあり外観はプレハブなのに、中はマンションの一室というつくりでした。今となってはもう、昭和の薫りそのものなのかもしれませんが、広いステンレスのキッチン、ガスオーブン、コンパクトな浴室など、当時の私たちの目には、何もかもきらきらに輝いて見えました。
そしてあろうことか、その日のうちに分譲の抽選申し込みをしてしまったのです。倍率は確か5~10倍ほど。1回目の抽選には落ち、悔しがった勢いで半年後の分譲にも申し込んで当選し、1年ほどあとに若葉台に引っ越してくることになったのです。
そのときすでに、3人目の女の子が生まれ、家族5人での団地生活のスタートとなりました。それから年月を経て今は長男、長女は仕事や結婚で家を出て、次男ひとりが私たち夫婦と同居しています。30年もたつと家はすっかり落ち着いて家じまいという言葉も浮かんできそうです。きっとどのお宅でもそうなのだと思います。
かつてのように朝の学校に通う小学生の声も、下校時の中学生たちのばか騒ぎのようなにぎやかさもなくなりました。5校あった団地内の学校も統廃合され、今では小学校が1校、中学校が1校残るのみです。若葉台にも、高齢化と少子化の問題がひたひたと迫りつつあります。
団地のよいところとしては同じ時期に同じ年頃の人々が大量に入居するため子育て中など勢いがあるのですが、問題も一気に押し寄せてくるようです。また同じように年齢を重ねていくため自分が年を取ったことになかなか気づきません。自分も年を取ったけど、お隣の○○さんだって同じだからです。スーパーに行っても同じような年頃の人ばかり。そしてたまに近くの新興住宅地のスーパーに行くと、子連れファミリーや子どもの多さにびっくりしてしまいます。
「わかば通信」の発行を始めたのは東日本大震災のあった年の6月からです。その前から地域紙に20年ほど関わっていましたが、だれでも利用でき、困ったときにみんなに呼びかけられる掲示板のようなものが作れないかと思ったのです。もちろん震災の衝撃もありましたが、高齢化が身近に迫る中、困ったときや、みんなに訴えたいとき、住民のだれもが利用できるツールのひとつになれないかと考えました。
そして入居後約30年が経過した2015年10月18日、神奈川県民ホールで公社主催の「第1回かながわ団地再生シンポジウム」が開かれました。テーマは、まちを活性化し、生きがいやなりわいをつくるためのさまざまな試みについて。
第1回団地再生シンポジウムの日、パネリストとして登壇した県住宅供給公社の猪股篤雄理事長は、
「高度経済成長期、県内に第一世代のための”夢の団地”がつくられました。30数年たち第二世代の子どもたちは都内に就職し、まちを去っていきました。今大切なのは、夢の団地、その続きを描くことでは……」
と話されました。そのときにふと、30数年前の自分たちの姿がよみがえってきて、年月を経て年齢を重ねるというのは普遍的なことなのに、団地に関しては悲劇的な様相や、ある種の感慨を人に与えてしまうのはなぜだろうと考えてしまいました。
内閣府の2017年(平成29年)版「高齢社会白書」によれば、日本の総人口に占める65歳以上の割合(高齢化率)は27・3%。若葉台に限っていえばその数字は47・8%という恐るべきものになります。けれど要介護認定率については、全国平均が18・1%なのに対して若葉台では12・2%と極端に低い数字になっています。これを不思議に思い、各種メディアからの取材や見学の人がよく訪れます。そしてスポーツ環境が整っているとか、クラブ活動や自治会活動が盛んだとか、そんなところを見て納得して帰られるようです。本当に私たちの姿を見ているのでしょうか。