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若葉台に越してきた頃
大当たりで自治会設立時の委員に
私たちが入居したのは若葉台4丁目の第8住宅管理組合エリアで、そのうちの3棟が先に入居し残り4棟が半年後の入居だったと思います。最初の入居が1丁目から始まっていたので、若葉台の中でも比較的新しいほうで、すでにさまざまなものが団地内で整備されていました。
その頃はまだ3丁目の高級感のある2棟が建っていなくて、うちのあたりから若葉台公園に向かってだだっ広い原っぱで雨が降るとぐちゃぐちゃにぬかるんでいました。夏から秋にかけてはよく虫の声がして子どもを連れてバッタ採りなどに出かけたものです。
最初に入居の始まった1丁目の知人の話では、買い物に行く店もなくバスもそれほど走っていなくて、学校に行くのも苦労していたそうですが、地元のママパワーで市の交通局や、横浜市などに掛け合ってバスの便を増やしてもらったようです。そんなことで若葉台にはいろいろな系統のバスが乗り入れることになって、この便利な状況はまったく1丁目に住む先輩女性たちのお陰といえるでしょう。
そんな中に越してきた私たちが最初に取り組んだのは、自治会づくりでした。自治委員というのが持ち回りで各棟数人ずつ選出されるのですが、ちょうど部屋の並びの関係で最初の自治委員になりました。その頃4丁目に入居した私たちの自治会設立がスムーズにいったのも、1丁目に入居した人々が自治会活動の基礎をつくり、それを踏襲していけばよかったからです。
ちなみに、若葉台の自治会関連の広報誌「みんなの若葉台」に掲載されていた皆川猛文さんの寄稿文「37年間の自治会活動」には、若葉台の自治会活動の黎明期のことが詳しく書かれていて、興味深いものがあります。
「1979年(昭和54年)4月、第一住宅に入居、入居後間もなく清水留蔵さん(初代連合会長)という大変素晴らしい人に出会い、…1980年2月、上川井小学校で自治会設立総会が開催され、第一住宅自治会が誕生…」(「37年間の自治会活動」2017・1月1日号)。
労を厭わず、地域のためにがんばってくれた先輩たちのお陰で今の若葉台があるようです。