①独占事業としての電力会社米国においても1980年代の後半までほとんどの政治家は公益事業会社の競争などということを考えていなかったようである。何十年にもわたって電気事業は発電設備を建設し、あるいは他の電気事業者と契約してそれらの地域の消費者に対する役務提供の義務を履行してきた。電気事業は、資本コストが高いことおよび規模の経済性から自然的な独占であると認識されてきたことが理由となって、公益事業とし…
[連載]電力の自由化と原子力発電
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評論『電力の自由化と原子力発電』【第8回】森田 章
株主資本主義が伝統となりつつあるアメリカ。電力会社や鉄道事業等の公共事業が民営化され、規制が緩和されると......
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評論『電力の自由化と原子力発電』【第7回】森田 章
アラブの石油停止やスリーマイル島の事故などを含む逆風となる出来事が生じたため、4基の建設をキャンセルすることになり…
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評論『電力の自由化と原子力発電』【第6回】森田 章
電力の自由化が引き起こす、予測不能の問題の数々。「公正かつ合理的」な電気の料金とは...?
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評論『電力の自由化と原子力発電』【第5回】森田 章
電気事業の自由化に舵を切った政府。規制緩和によるストランデッド・コストの回収問題に注目
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評論『電力の自由化と原子力発電』【第4回】森田 章
国の存在なくして、電力の安定した供給はできない?電力の自由化とともに訪れるコストコスト競争
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評論『電力の自由化と原子力発電』【第3回】森田 章
公益事業に用いられる私有財産は限定的?電力会社経営の歴史的展開
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評論『電力の自由化と原子力発電』【第2回】森田 章
原子力発電所を抱える大手電力会社は果たして新電力と自由競争は可能なのだろうか?
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評論『電力の自由化と原子力発電』【新連載】森田 章
東電は、なぜ支配権を国に奪われなければならなかったのか?