教興寺(なわて)での戦いの後、儂は留守にしていた大和国へ再び侵攻した。畠山に味方した井戸氏が人質の差し出しを条件に降伏を申し入れてきたので、此度は許すこととした。逆に筒井、十市など降伏しない畠山方の諸城は片っ端から掃討した。夏のギラギラの太陽が照り付ける下、大和中の国衆を集めて、儂が新たに築く城の棟上げを行った。城造りに関して儂は一家言があり、他の者を先んじていると考えていた。

「儂が奈良盆地の北端に位置するこの眉間寺山と善称寺山に目を付けたのは、なぜだかわかるか」

「立地的には、京に近く、奈良盆地を見渡せる高さがあるからでしょうか」

傍に控えた本庄孫三郎が答えた。

「立地的には、そうである。だがそれだけではなく精神的なこともある。北方の守護神は何であるか? 誰かわかる者はいるか」

同じく傍らに控えた加成道綱が答えた。

「毘沙門天……です」

「いかにも毘沙門天である。では毘沙門天の別名を知る者はおるか」

今度は楠正虎が答えた。

「多聞天にございます」

「いかにも多聞天である。多聞天は『よく聞く者』というところから、そう呼ばれておる。世俗の嘆きや悲しみを聞き取り、御仏に伝えてくださる神である。日頃から儂も、多くの者の意見をよく聞くことを旨として政事(まつりごと)を行っておるつもりじゃ。先ほど、道綱が答えた通り、毘沙門天すなわち多聞天は北方の守護神でもある。

ゆえに奈良北端のこの地は、多聞天に鎮座していただくには打って付けなのじゃ。儂は多聞天の化身でも何でもないが、ここを守護所と定めることにより、多聞天に成り代わり大和国を守護しようと思うておる」

「なるほどぉ。で、殿はそもそも何故(なにゆえ)多聞天を信仰しておられるのでしょう?」

道綱が聞き返したので、儂は朗々と語ってやった。儂の生まれ育った摂津国島上郡高槻の五百住辺りには、日ノ本で最初の毘沙門天安置霊場である神峯山寺があり、また日ノ本の三大毘沙門天の一つである本山寺もあり、幼き頃から親しみを以て毘沙門天に触れる機会があった。更に、大和国に来て最初に儂が居城とした信貴山には朝護孫子寺があり、その御本尊も毘沙門天なのである。ゆえに毘沙門天すなわち多聞天と儂は、因縁浅からぬ仲なのである。