大饗長左衛門尉とその一族は、晴れて赦免され、楠木姓に復したのみならず、河内守に任ぜられた。以後、大饗長左衛門尉は楠河内守正虎と名乗ることとなる。

実はこの件は長慶様の入れ知恵でもあった。というのも、足利政権の正統性の一つは北朝皇統の守護であるため、南朝の臣の名誉回復は足利家にとっては不都合な出来事であり、足利氏による統治の正当性を否定する危険性を(はら)んでいた。

長慶様の目的は、まさにそこにあった。

年末になり、ようやく三好家にも御沙汰があり、政所執事伊勢貞孝が京の三好邸を訪れた。此度の沙汰は、長慶様ではなく、御嫡男の千熊丸様に対してであるという。無論、千熊丸様は御歳十八を数えられ、七年前に元服されており、〈三好孫次郎慶興〉と名乗られている。

慶興様をお育て申し上げた儂と千春は、この知らせに大いに喜び、千春は目に涙した。

慶興様は大広間のほぼ中央、上座に対して着座され、後見役の儂は末に控えた。

「孫次郎様、そのように緊張なされては、声が上ずり、相手に軽んじられましょうぞ」

と、儂が小声で囁くと、

「弾正め。私は緊張などしておらぬ」

慶興様は儂を振り返り、舌を出した。

「緊張しているとしても、気取(けど)られぬよう鷹揚に話せば良いのであろう」

「ご明察」

慶興様は少し面倒臭そうに小声で返しながら、口周りの緊張をほぐすかのように唇をモグモグしていた。

しばらくすると伊勢貞孝が入室し、公方様の名代として上座に着座した。

「三好孫次郎殿、(おもて)を上げられよ」

貞孝の鷹揚な声に、慶興様は(おもて)を少し上げた。

「此度、勿体なくも公方様より偏諱が下される。有り難くお受けするよう」

「ははぁ」

慶興様は恐縮してみせた。貞孝は持参した桐の文箱を一度捧げ持ち、蓋を開け、中から檀紙を取り出し披露した。檀紙には将軍義輝公の自筆で〈義長〉と書かれていた。

「公方様の御名〈義輝〉の内〈義〉の字を与える。本日この時より三好孫次郎義長と名乗るよう」

「有り難き幸せ。その名に恥じぬよう義を以てお仕えいたします」

慶興改め義長様は淀み無く答えた。