突然の夜襲

ところがその晩、皆が仮眠に落ちた頃、裏手の鷹取山の方から突然喚声が上がった。

『何事か』と思う暇もなく剣槍の音が拡がった。

「赤井の夜襲じゃぁ」

「敵襲っ」

味方の兵たちが叫んでいる。騒ぎのする方を儂は見やったが、辺りは漆黒の闇に包まれていて、いかほどの敵に攻められているのか、見当もつかなかった。

「ここは我らが防ぎますゆえ、殿は麓の宗勝様の御陣まで退かれよ」

儂の安否を気遣い駆け付けてくれた竹内秀勝と加成通綱は、手勢を率いて騒ぎの中へ飛び込んでいった。

赤井一族は総力を挙げて挑んできたのであろう。その勢いは速く、そして凄まじかった。中でも荻野直正という剛の者に歯の立つ者が味方にはおらず、儂らの胸にその名を刻んだ。

「足立様、お討死っ」

「芦田様の陣が総崩れっ」

地元の兵が次々と潰走し、儂らだけではなく甚介も陣を支えきれず、香良村を捨て、口丹波まで兵を退かざるを得なかった。この香良の合戦では多くの兵が討たれ敗れたが、幸い討ち死にした将は一人もなく、竹内秀勝も加成通綱も無事に帰還した。

むしろ兵数で劣っていた赤井一族の被害が大きく、一族の長である赤井家清が深手を負い、のちに死亡したほか、赤井信家は討死。例の荻野直正も歩行が困難なほどの大怪我を負い、兵に担がれて帰城したという。

戦には敗れたものの、赤井一族に大打撃を与え、結果的に封じ込めに成功した儂らは、長慶様のご出馬を仰ぎ、満を持して八上城攻めを再開した。圧倒的な兵力を前に八上城の波多野晴通は成す術もなく城を捨てて逃げていった。

此度の八上城攻めでは、儂の甥っ子の松永孫六が大いに奮闘し、それが長慶様の御目に留まり、なんと空き城となった八上城の城主を仰せつかった。あまりの御褒美にいかにも恐縮した様子の孫六を儂と甚介は、「そんなに恐縮するのであれば、お役目を返上したらどうじゃ」などと言ってからかった。

京に戻った儂は、側室を迎えた。出雲国の安来清水寺と鰐淵寺との争いの際に誼を通じて以来、武家伝奏の広橋国光卿とは昵懇になり、話の成り行きで、その妹の広橋保子殿を迎えることになった。

保子殿は前夫の関白一条兼冬卿に先立たれ、その後、後奈良天皇の後宮女房として宮仕えしておったが、天皇が崩御されたのを機に職を辞され、独り身でおられた。そんな妹君を案じた国光卿は、妹の再婚相手として親子ほども歳の違う儂を、何故か選んだ。

儂の正妻である千春はもちろん健在であったが、嫡男の彦六を生んだ後は子宝に恵まれておらず、子の少ないことを気に掛けた周囲の者たちの勧めもあり、此度の仕儀となった。ちなみにこの年、儂は五十路で、保子殿は二十歳の若さであった。