祖父はすがりつく私の頭を撫でて「おう、よく来きた、よく来た」と言って、豪放に笑った。幼い私はそんな祖父の眼差しに見守られ、母の温もりの中で育っていった。
祖父の家の離れからは伯耆大山が見えた。遠い汽笛を聞いて縁側に走り出ると、広々とした田園風景の遥か彼方の大山の山裾を、伯備線の蒸気機関車が白い煙を棚引かせて走っていた。――かすかに遠い潮騒も聞こえた。
やがて、そんな私の恵みに満ちた世界は、祖父の死によって幕を閉じた。私はまだ死ぬということが、よくわかっていなかったので、その年の夏休みがくると、いつものように祖父の家を訪れた。祖父のいなくなった離れは、ガランとして色褪せた虚しさを湛えていた。私は遣る瀬無い寂しさに苛まれて、泣き出したい思いをこらえながら、そこで夏休みを過ごし、そして、もう二度とここに来くることはないだろう、と思いながらそこをあとにした。
それからの私の記憶は孤独の中で刻まれた。私たち家族が引っ越していた田舎町の家並みは、閑静な通りの両側に、茅葺きの農家を挟んで、鍛冶屋、精米所、綿打屋、畳屋、トタン屋、……と軒を連ねていた。そこにはまだ戦後の貧しさが残っていて、河原にはバラックで暮らす人がいた。
私の家はと言えば、そんな街並みの中でも古い茅屋で、傾きかけた柱と壁が寄り合って、かろうじて苔生した屋根を支えていた。父はそこに小さな醤油の販売店を開いて、自転車で行商して回った。その重労働に疲れた父の憂鬱と不機嫌は、一家の生活に暗い影を落とした。私たちはそんな貧しさに怯え、人目を忍んで生きていた。