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霊界から通信された言葉
母が毎晩密かに祈りをあげていた、この二つの祈りの出典はわからない。だが、この古風な言葉の使い方からして、恐らくは『未知日記』(「みちびき」と読む)という本のなかにある言葉なのではないかと思う。
母は長い間『未知日記』という本を輪読する会に通い、師の教えを受けていたので、恐らくはその本のなかにある言葉ではないかと思われる。私も母に勧められ一緒にその会に通っていたことがある。その本の、現在の私たちには難しすぎる古い言葉遣いがちょうどこんな感じなのだ。
この『未知日記』という本は戦後すぐ(あるいは戦中からか)、伊東慈音という全盲の検校に、霊界から通信されたものだという。昭和二十二年、東京・世田谷に発足した勉強会『こだま会』で伊東師自身が霊界から通信される内容を口述講義したものが、会の人たちによって筆記されたのである。
戦争に負けて疲弊し、自信をなくし、誇りまで失いそうな日本人を憐れみ、心配した霊天上界が正しい心の持ち方や人の生き方、正しい信仰のあり方、太平洋戦争の真実や「八紘一宇」という言葉の真実の意味、また霊界の様相などさまざまなことが、霊界からその方に通信されたのである。
それが後に『未知日記』十二巻、別巻一巻の全十三巻として出版された。母といっしょに参加していた勉強会は、その『未知日記』を参加者が順に読み、時々師(伊藤慈音師は亡くなられていたが、師について修行された方が指導しておられた)が意味を説くというようなところだった。
格別難しい説明も何もなかった。ただ大切なのは『未知日記』そのものを読むことだったのだと思う。霊界から通信された言葉を読むこと、そのことに意味があったのだと思う。古い言葉遣いや難しい言葉ばかりで私にはとても読むのが難しかった。月一回の勉強会で読み進むだけではとても捗らないので、私は朝のお勤め(神様仏様への祈り)のときに経本の代わりに読むことにした。
般若経、法華経、観音経といった経本の代わりに『未知日記』を一巻目から声に出して読み始めたのである。声に出すことで、難しくて居眠りしてしまうという難点を克服したのである。毎日ほんの少しずつだったので全巻を通読するだけでも相当の時間がかかった。
勉強会とこれで、全巻をやっと二回読んだことになる。それでも内容を理解できたとは思えないし、いま、どういうことが書いてあったかを説明することなどとてもできない。ところどころ強く心に残った箇所があったし、また箇所によっては心が激しく揺さぶられ畳を叩いて泣いたこともあった。不思議な体験が数々ありながらの通読だった。
内容を理解するという意味では、いわば“不毛の読書”だったのだが、読むことを諦めようとは思わなかった。なぜなら、師が「無理にわかろうとしなくてもいい。この本を手にとって学ぼうとするとき、霊界からたくさんの方々があなたを指導しに訪れてくださる。知らず知らずのうちに教えられていく」とおっしゃった言葉を信じていた。