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母の説法──誰が風を見たでしょう

子供時代のことを考えると不思議に我が家にはほとんど父の姿がない。父がいないわけではないのだがほとんど不在だったのだ。家庭で父の姿を見るのは、日曜日、それもほんの時たまのことで、毎日父に会うなどということはほとんどなかった。父のご帰還は毎日午前様だったし、子供たちが学校へ行く時間には父は寝ているから、朝、顔を合わせることはまずなかった。そのうえ、仕事柄長期の出張も結構あり、家はいまどきの感覚でいうと”シングルマザー”の家庭のようだった。

だが、父がいなくて寂しいとか、どうして一緒にご飯を食べないの、とかいう感じは全くなかった。時代のせいもあったかもしれないが、一番の理由は母が、毎夜夫が”午前様”で銀座や神楽坂のきれいな”お姐さん”たちに送られて帰ってくることもいっこうに気にしている様子がなかったせいもあるかもしれない。

家庭的な父という印象は何も残っていないが、父親の存在感がなかったかというとそんなことは全くない。

父のことを思うとき、一番に浮かんでくる姿は毎年の元旦の父である。

一年三百六十五日のほとんどを飲み歩いて(仕事でもあったと思うが、本人の性向でもあったろうと思う)家には寝にしか戻ってこないような、そのうえ結構定宿での外泊も多かった父が大晦日から元日にかけてはまるで、いつもとは違う大真面目な人物になった。

大晦日は家族そろって母の手料理の大御馳走を囲む。これは大晦日の方がお正月よりご馳走が多いという父の郷里の風習に倣っての習慣だった。お風呂に入り、除夜の鐘をきいて就寝するのだが、どんなに遅く寝た日でも元旦だけは父は早起きをする。私たち子供はもちろん元旦の支度をする母も大迷惑なくらいの早起きをして、粛々と“元旦の行事”に取り掛かるのだ。それぞれの地方やそれぞれの家庭にそれぞれの元旦の行事があるのだろうが、我が家には我が家の元旦の特別なしきたりがあった。元旦は神仏に感謝の祈りをささげる日だった。