【前回の記事を読む】たとえ立派なことはできずとも…人生を素晴らしいと思える理由
「ありがたい」って、どういうことなの?
思いがけない母の言葉に私はなんと答えていいのかわからなかった。オシッコやウンチを自分で調整しているとはとても思えなかったからだし、また、そういう仕組みを自分で考えて生まれてきたとも考えられなかった。
「何も考えていないのに、ちゃんと体が自然にそういうように動いている、それで、気持ちよく生きている。そういうことを"ありがたい"っていうのよ。オシッコがちゃんと出てありがたい、ウンチが出てありがたいということでしょ」
「あなたは息をしているでしょ? 酸素が当たり前のようにあると思って呼吸している。太陽が自然に照って動物や植物を育てている、夜になると暗くなって人もほかのものも皆休む。そういうことは当たり前のことと思っているでしょ。その大事なことを当たり前に与えられていることが本当に”ありがたい”っていうことなのよ。
そういうすべてを自然に与えられ、自然に生かされていることは、本当は当たり前のことではないのよ、きっと。それは奇跡のようなことだからありがたい。そのありがたいことに対して心から『ありがとう』と感謝しなくてはいけない、それが”ありがたい”という言葉の本当の意味なのよ」
自然に、なにごともなく生かされていること、そのことは決して当たり前にあることではない、奇跡のようなことなので「有る」ことが「難しい」のだということを母はこんな風に言ったのだ。だから「有難い」なのだといったのだ。確かに、当たり前のように生きることの難しい病気の人々だってたくさんいる。いまなら、母の言いたかったことが理解できる。
ことに、二〇一一年三月一一日の東日本大震災を経験したあとには、「生きていられる」即ち「生かされている」のだという感覚や、そのことこそ奇跡なのだという感覚は多くの人々が持ったはずである。