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人生の荒波を乗り越えさせてくれた言葉に

人生の、ほんのささやかな荒波さえ必死で生き抜かなければならないほど軟弱者だった私だが、母の言ったこの言葉とそれによって固まった覚悟だけが人生の難関にぶつかったとき思いもかけない力で自分を助けてくれた。

会社が倒産寸前にまで追い込まれたとき最後の最後まで諦めず、逃げ出さず、可能性を探して皆と頑張ろうと思えたのも「いま諦めたら、いま逃げたら、あとできっと後悔するから」と思えたからである。

あとで同じような立場に立ったことのある知人から「どうして、そこまで他人の会社のために頑張れるの?」と聞かれたことがある。”他人の会社”と言う言葉だけで、私はその人と同じ土俵には立っていないと思った。他人の会社だろうと、自分の会社だろうと、いま、ここで私が負っている責任は誰のものでもなく、自分の責任なのだと私は思っている。

そして人生最期のときに”あのとき逃げなければよかった”という後悔だけはしたくないという覚悟は、母のおかげでとっくにできていたのである。子供心に植えつけられた種子は生涯に渡って、少しずつ心のなかで育てられたのだ。種はやがて芽を出し、いつか花が咲くのだろう。それが教育というものだと思う。

だが残念なことに、私はいまだに生涯の最期に死に向かいあったとき、それを悠然と受け入れられるかどうか自信はない。やっぱりどうしていいかわからないし、怖いと思うだろう。多分残念ながらまだそんなところだ。魂の転生輪廻を信じているのだから、私ももう何百回、何千回も死を経験しているはずなのだ。

だが、いかにも矛盾しているようだが、誰にとっても死は初めて経験するもののように未知の不安なものとして存在している。人はきっと新しく生まれてくるたびに、人生に真剣に立ち向かっていくためには過去世の経験や記憶を消される必要があるのだろう。そうでなくては、今度の新しい人生を経験する意味がないから。