六月二十二日 金曜日

満田穂波(みつたほなみ)は、青い傘を閉じ、傘立ての前で軽く雨粒(あまつぶ)をはらった。

昇降口のコンクリートに点々と散る、黒いしずくの花をぼんやり見つめたあと、靴箱の前まで進んだところで歩みをとめ、ゆっくりと首(こうべ)をめぐらせる。

始業にはまだかなりの間があり、周囲に穂波以外の人影はない。そのせいもあるのだろう、この瞬間に繰りかえしおぼえる檻(おり)の中に閉じこめられたような気分が、いつもよりもさらに強く襲ってくる。

振りかえったガラス扉の向こうは、音もなく降り続く雨。小ぬか雨というのだろうか。じわじわと心を腐らせる、陰湿系の雨。古くさいけど、ぴったりの言葉があった気がする。

なんていったっけ。ああ、そうだ―真綿で首を締める。そんなたとえをあっさり思いだせたことが、穂波はわけもなくおかしかった。

上履きに履きかえ、水底(みなそこ)から這(は)いあがるように階段をのぼる。ねばりつく温気(うんき)とカビっぽいにおいをこらえ、三階までたどりつくころには、首筋や両腕の産毛(うぶげ)に汗がにじんでいた。

それが、湿った制服の気持ち悪さといっしょになって、不快感のゲージをマックスまで押しあげる。二年生の中で、なんでわたしたちのクラスだけ三階なんだろう。

進級後、何度思ったかしれない不満が、汗といっしょに噴き出してくる。セーラーの胸もとを少し持ちあげ、手のひらでぱたぱたとあおぎ、穂波はほっと息をついた。

下半身が、なんとなくだるい。沈みこむような鈍い重さ。そういえば、そろそろ生理がきてもおかしくないころだ。生理中、見た目につらそうなのが伝わってくる子と比べれば、たぶんわたしは楽なほうなんだろうな、と穂波は思う。

だけど、なによりたまらないのは、終始つきまとって離れないねっとりとした"いやな感じ"―自分で自分をコントロールできない、どこかにもうひとりのわたしがいるような不快感だった。

女って、ほんとに損だな、と思う。毎月毎月、何日もの間、不快な痛みのかたまりをかかえこみ、今自分は、見えないところで濁った血を流し続けている動物なんだってことを、否応(いやおう)なしに突きつけられる。

だからこそ女の子は、きれいになろうとする。きたならしい動物であることの呪いから逃れて―たとえそれがつくりものでも―愛らしい人形になりたいと願う。

そういうことをぜんぶ隠して、にっこりと笑顔をつくる。そんな女の子の気持ちなんて、ただヘラヘラしてるだけの男子になんか、ぜったいにわかりっこない(もちろん、わかってほしいなんて、まちがっても思わないけど)。

ほんと……いやんなっちゃうな。考えたくないと思うことばっか考えちゃう。朝だというのに、心が浮き立つ要素なんて、なにひとつない。

それでも、今日一日をやりすごせば、つまらない一週間がやっと終わる―そのことだけが救いだ。次のつまらない一週間の前に与えられる、お情けみたいな小休止。教室にたどりついた穂波は、扉の前で足をとめた。

ひと呼吸置き、さがっていたソックスの端を引きあげ、ふくらはぎにかかる高さで左右をそろえる。特に意味はないけれど、いつのころからか、なんとなく続いている習慣―というより、儀式みたいなものだった。この扉が、知らない世界への入り口だったらいいのに―。