なぜ日本は「iPhone」を生み出せなかったのか?
「なぜ日本は『iPhone』を生み出せなかったのか?」という疑問は一見つまらないようで、実は考える価値がある問題だ、と書いた。その理由は、会社が同じような社員ばかりだからだと考える。
「iPhone」を造るのに必要な技術は日本にもあったはずだ。だが、日本はいま「ガラケー」と呼ばれる「ガラパゴス携帯」の道へ進んだ。「ガラパゴス携帯」は名前のとおり、ガラパゴス化した携帯だ。ガラパゴスとは太平洋に浮かぶ南米エクアドル領の絶海の孤島で、そこの生物はほかの陸地との交流がなく、独自の進化をとげた。
これにちなみ、独自の発達をとげ、ほかでは通用しない状態になることを「ガラパゴス化」という。日本の会社は「鎖国状態」だからガラパゴス島と同様だ。だから「ガラパゴス携帯」は生まれるべくして生まれたものだといえる。
「iPhone」をお持ちの方は改めて見てほしい。何の先入観もなく見れば、「のっぺらぼう」の表面にボタンとジャックがあるだけのきわめて単純なつくりだ。いまでこそシンプルでスタイリシュなどと前向きに表現される。だが、あえて悪く言えば(私の第一印象がそうだったが)「こどものおもちゃ」のようでもある。
日本が選んだ道は「こどものおもちゃ」ではなく、さまざまな機能を「これでもか」というくらいに付け足しする道であった。いやむしろそれまでの道をそのまま進んだ、といったほうがふさわしいかもしれない。
なぜだろうか。それはそれまでの携帯のあり方を根底から変えるような斬新な考えが社内で出てこなかったか、あるいは出たとしても「出る杭(くい)は打たれた」のだと推察する。平成の初め頃までは日本の会社で社員が多種多様でないのは、むしろ都合が良かった。
なぜなら、欧米の先進諸国が造ったモノをベースに、いかに上手く安く速く大量に造るのかが最優先だったからだ。社員が同じ方向を向き、一気に進むほうが効率的だ。余計な意見をはさむ人間は作業がストップするもとになるから、当然煙たがられた。だが、すでに日本は昭和43年(1968)には当時の西ドイツを抜き、世界第二位の経済大国になっていた。
そして、昭和の終わりには世界第一位の経済大国アメリカのお国芸である自動車生産で世界トップとなっていた。その当時私は高校生だったが、アメリカ車を追いやった日本車を、アメリカ人が憎しみを込め集団になってハンマーで叩き壊すという、いま思い出すと衝撃的なシーンがよくニュースで流れていた。いま思うと、あのときのハンマーは日本への「警鐘」だったようにすら感じる。
つまり、日本はすでに先陣を切るトップを走る立場になっていた。トップ走者は、モデルとなる人などいない。自分自身で進む方向を決めなくてはいけないが、それにはいろいろな角度から見ることが欠かせない。航海で言えば、天気、星の位置、潮流、風向き、乗客数など、できるだけ多くの判断材料があったほうがよい。
つまり、会社で言えばさまざまな意見が出てくるほうがよい。それには、会社内が同じような社員ばかりではなく、その反対に多種多様であったほうがよい。つまり、日本が「iPhone」を生み出せなかったのは、会社内が同じような社員ばかりとなってしまう「終身雇用制度」が大きな理由であった、と考えている。だが結局、平成の時代を経ても、終身雇用から完全に抜け出し、それに代わる雇用体制を見つけることができずにきてしまった。