「一億総中流社会」の実像とは
平成の歴史を振り返るのに、何と当たり前のことを言うのかと不思議に思う方もいると思うが、順を追って説明していきたいので、おつき合いいただきたい。
まず、人は皆違う、ということを改めて確認したい。男性と女性、背の高さ、顔のつくり、考え方、好きな食べ物などいろいろな点で皆違う。
別にどちらがよい悪いといった話ではなく、それぞれが個性であって、こういう個性があるからこそ人間社会は発展して来た。
それにもかかわらず、その個性がないかのように社会を運営してきたことが、平成の日本を窮屈にし、貧しいものにしてきたと考える。
戦後の日本は、「平等」という言葉が「錦の御旗」、つまり誰も逆らえないものとなり、それについて議論することすらはばかられるような雰囲気がつくり出された。
戦後の復興期、高度成長時代を経て、日本は農業従事者が多い国から、工場・オフィスで働くサラリーマン中心の国へ変わっていった。
繰り返しになるが、日本人は人と違うのを嫌がりできれば人と同じでいたいと願う。
次第に社会が豊かになるにつれ、進学率が上がりサラリーマンになるのが一般的になってくる。すると、こうした傾向にますます拍車がかかる。
そして、昭和40年代から平成の初め頃まで、多くの家庭が夫は終身雇用のサラリーマン、妻は主婦かパートタイマー、子どもはサラリーマンになるため進学を目指す、いわゆる「一億総中流社会」――それは、硬直的な人生設計・家庭像を国民全体が追求する社会――が出現した。
つまり、男性はできるだけ勉強し、よい学校に入りよい会社に入る、そして、結婚しよい生活を送る。一方、女性はよい主婦となるべく、真面目に勉強し高校または短大を出て、料理や裁縫も身につけ会社に入る。腰掛け程度に在籍し、男性社員の補助をする。
そして、「寿退社」をし、家庭に入る。子どもを産み育て、それが一段落すると家計の助けにパートタイムなどで働き、子どもたちを高校・大学まで送り出す。いま考えると、個性の尊重とは正反対の生き方を強要される社会であり、表には出なかっただけで辛い思いをした方も相当数いたはずだ。
よい学校、よい会社の「よい」とはどういう意味か、あまりに単純化しすぎだ、男性社員の補助などという表現は女性差別だ、などいろいろ批判はあるだろうが、ここでは「一億総中流社会」を歴史上の用語としてしか知らない若い方にわかりやすいように書いたのでご容赦願いたいが、大まかにはこうだった。
実際に、この社会モデルが例外的に上手くいっていた時代の最後――昭和の末期に私は幼少期・小中学時代を過ごしてきたが、当時の「一億総中流社会」という言葉で言われる社会――は、皆がこうしたイメージをごく自然に共有していた。
だが、これがいまにつながる平成時代の停滞のもとだった。