「正社員」が宣伝文句になり得るようになった日本
先日の通勤途中、バスの車体にある学校の広告を見た。
そこには「資格をとって正社員に!」と書いてあった。バスの看板として書くということは、その宣伝文句の訴求力が高いことの証明だ。
「正社員」、つまり正規雇用は30年前は、ごく普通のことだった。それがいまや、わざわざ広告文句になるくらいに価値のあること、つまり必ずしも一般的ではないということだ。
もちろん、日々のニュースでわかってはいたが、こうして自分の前に大きな文字で突き付けられると大変ショックだった。いまの日本では、正規雇用者と非正規雇用者の間には給与と処遇などの面で、残念ながら大きな格差がある。
平成28年(2016)時点で、年収ベースの差は1.8倍程度だ。昔は、正規雇用、非正規雇用という言葉は、普通の会話やニュースなどではまず出てこなかった。せいぜい統計の分類上の用語として出てくるくらいだった。
普通の会話で出てくるとすれば、正社員、パート、バイトの三つの区分だったが、どの言葉も別にプラスのイメージもマイナスのイメージも、そして差別的なニュアンスもなかった。
だが、聞いて思い浮かべることは決まっていた。
正社員と言えば家族を養う大黒柱の男性、パートと言えば子育てが一段落した主婦が家計の足しにするもの、バイトと言えば大学生や高校生が小遣い稼ぎにするものだった。(もちろん、父子家庭、母子家庭、勤労学生などのそれ以外のケースもあって、実際に知人もいたが、「一億総中流社会」という名のとおり、家族形態、雇用形態についてはいまよりはるかに均一性が高く、あくまで大まかなイメージを描いてもらうために簡略化している)
そして、この三つの区分のほかにたとえば通訳者など、特定の会社に属さず高い技能を売りにする専門職種の人がいることも皆知ってはいた。
だが、その名のとおり専門職だけに普段は接する機会もないから、あまり具体的なイメージはなかった。ただ、専門職種なのでむしろ高い収入を手にしているプラスのイメージのほうが強かった。
いま雇用の問題というと、正規雇用者と非正規雇用者の格差や非正規雇用者の厳しい状況など、暗くて追い詰められたような悲壮感がどうしても出てきてしまう。
ちなみに雑誌、SNSや各種ネットメディアなどは、新聞のような堅苦しさなくはっきりと世相を表すものだが、いま雇用の問題で取り上げられるのは、失職、低賃金、給与格差、ブラック企業などといった悪い話ばかりで、見出しからして悲壮感が漂っていて暗い気持ちにさせられる。
だが、昔はそんなことはなかった。
それを表す個人的な経験を示したい。個人情報保護に厳しくなったいまでは想像もできないが、昔の、少なくとも私の出た小中学校では先生がクラス全員の住所、電話番号が載った名簿を作り、年度の初めに配っていた。
そこには保護者の氏名に加え職業欄もあって、会社員、農業、自営業、公務員、教員、銀行員というような形で書かれていた。会社員と言えば、言うまでもなく正社員だったし、こうして具体的な職種までが堂々と書かれていたこと自体が、いまのように職業にまつわる悲壮感などなかったことを示している。
いま振り返ると、子どもと親の職業にいったい何の関係があるのか不思議だが、当時は学校に入ったときからそうだったので、誰も文句も言わず不思議にすら思わなかった。