「令和」で間違いを繰り返さないためにすべきこと

「昭和の終わりから平成の初め」までは、普通の人の暮らしにも余裕があった。

「貧すれば鈍する」という言葉がある。これはいくらもともと立派な人でも、毎日の生活を送るだけで精一杯というのが続けば、当然、心の余裕などなくなり、鈍くなってしまうというような意味だ。

残念ながらいまの日本は国全体がこんな感じだ。お金はもちろん、気持ちの面でも余裕がなくなった。だから、目先のことで精一杯で、とても将来を見すえ新しいものを自由に考えているどころではなくなっている。

すでに平成が終わった。そして気づけば日本は、「貧すれば鈍する」ともいえる状態になってしまった。

だが、ここで終わっては意味がない。いったい「平成」のどこがまずかったのかをはっきりさせ、そして「令和」の時代を良い時代にするにはどうしたらいいのかにつなげたい。

ただ、あまり手を広げ細かくなると焦点がぼやけてしまい、結局、わかったようでいてわからない。

実は、私自身、日本人が皆懸命に働いているのになぜ国が貧しくなっていくのかが不思議で、社会人になってからは学生時代に専攻した人文系から経済や金融など社会科学に関心が移ってきた。

話題の本があると聞けば読んできたが、どれも書いてあることは理路整然と話が展開されており読んでいるときは納得するのだが、読み終えるとどこか違和感があって、わかったようでいてよくわからない「歯がゆさ」を感じることが多かった。

それはいったいなぜなのかも考えてみたが、その理由はそれぞれがあまりに細分化、専門化し過ぎてしまった結果、現実の社会との間に乖離、つまり、すきまができてしまっているせいではないかと考えるようになった。