楓橋夜泊の寒山寺

東方航空で、福岡空港を飛び発って一時間もすると、機内アナウンスがあった。

「間もなく上海空港への着陸態勢に入ります」と、中国語と日本語での案内。

この航路は、福岡から東京へ行くよりも速い様な、いや、距離的には同じくらいだろうが、時間的には随分速く感じられた。

しかも、飛ぶのは海の上ばかりだから、殆ど揺れも感じられない。

慌てて、家内と二人分の、入管へ提出する書類を書き上げて、ベルトを締めた。

目的の空港が近づくにつれて、海の色が段々と黄色くなっている感じがする。

中国独特の色であろう。黄河と言う河の名前が連想される。

愈々上海に到着、空港からリニアモーターカーに乗った。

この国では、時速四百キロのリニアが、既に実用化されており、乗車してみると、なかなか速い。日本より進んでいるのか?

二十分足らずで龍陽路りゅうようろ駅に到着、旅行代理店のカウンターで、早速蘇州行の手続きを済ませた。

上海からの蘇州観光は、

「まあ、大体一日行程ですね」と係員の説明に、明日の一番で出発するツアーを申し込んだ。

今回の目的は、何はともあれ蘇州寒山寺へ行く事である。

唐代の詩人“張継ちょうけい”のあの有名な“楓橋夜泊ふうきょうやはく”の詩が忘れられない。

もう十年以上も前になるが、我が家が竣工した時、兄から祝いとして貰った掛軸が、この詩文であった。

月落烏啼霜満天月落ちからすくしも天に満つ

江楓漁火對愁眠江楓こうふうの漁火愁眠しゅうみんに対す

姑蘇城外寒山寺姑蘇こそ城外の寒山寺

夜半鐘声到客船夜半の鐘声客船に到る

いつも床の間に掛けている。

それ以来、いつの日か現地に行ってみたい。是非雰囲気を味わってみたい、と言う願望が心の中にあった。

季節は、昨年(平成十八年)七月初め、夏休み前の比較的静かな日だった。

今回の小旅行の切っ掛けは、先般、次女が遅れ馳せながら、私と妻の還暦祝い、と言って贈ってくれた旅行券である。

私の還暦は、とっくに過ぎて、あと三年で古稀を迎える歳であるが、妻は、今年が丁度還暦である。

妻にとってのこの贈り物は、時宜じぎを得たものであったと言えよう。

子供からこんな物を貰うとは、驚きと戸惑いがあったが、やはり嬉しかった。

初めて次女から貰った祝いである。

だから、この旅行券は、娘や孫に会いに行く時の旅費にしよう、と話し合って仕舞っておいた。

しかし、考え直した結果、折角だから、何か思い出になる旅をしよう、と今回の蘇州行に変更したもの。

以前から憧れていた場所である。

妻は、あまり乗り気でない雰囲気、どちらかと言えば、ハワイの方が良さそうであったが、まあ、何とか妥協してくれた。

中国では、来年オリンピックの開催が、北京で計画されている(著・平成十九年七月)。

そう言った色んな面で、脚光をあびている中国。しかし、最近、食品への薬物の入れ過ぎとか、粗悪品を輸出したとか、製品の品質面で問題をかもし出して、世界中で騒がれていた。それでも、歴史や詩では魅力三昧の地である事言うまでもない。