ヤワラート「迷宮の魔都」

(写真)

ヤワラート(耀華力 バンコクの中華街)と聞くと、何故か心が躍る。

ヤワラートの路地を歩いていると、ふと、遥か遠き中国、その南方のとある街をブラブラしている様な錯覚に囚われることがある。事実、一九九六年の旅行で訪れた上海の「豫園」の側にある路地裏を車で通り過ぎた時に目にした風景は、ヤワラートの路地裏風景と全く同じもので我が目を疑ってしまった。

そういえば、かの三島由紀夫は、ライフワーク『豊饒の海』の第三巻『暁の寺』の冒頭において、バンコクの街を「町の殷賑(いんしん)は南支那の或る都市を思わせた」と形容している。文豪三島の脳裏に浮かんだ南支那の或る都市とはいったい何処なのか大変興味がある。

しかし、残念ながら東京市谷の陸上自衛隊東部方面総監室において割腹自刃を遂げた文豪にその都市の名を確認する術はない。

思うに、ヤワラートの中華街は、今後、中国の本家本元を差し置いて、旧き時代の中華街の趣を残す街として残るのではないか、そんな気がしてならない。

世界のチャイナタウンを紹介した本『華人の歴史』(リン・パン著、みすず書房)も「チャイナタウンのすべてを代表するような場所というのはあるはずもないが、バンコクのチャイナタウンほどその真髄を味わえる所はあるまい」とし、続けて、「チャイナタウンにあまたある店の奥まった暗がりは、永遠の時間のなかに凍りついた古い写真の残像のようだ。

傍らの小路はまるで昔の田舎からぬけ出てきたかに見える。中国ではとうの昔になくなってしまったが、ここバンコクには幻のように生き残っている光景だ」と指摘している。

ヤワラート路とラーチャウォン路の角に聳え立つホテルの駐車場に車を預け、ヤワラート路を黙々と歩く。

幾多の金行(金を売買する店)を通り過ぎ、漢方薬や月餅を売っている店の前を過ぎるとある路地に入る。その一角には一膳飯屋が並んでおり、ランニング姿のおじさん達が、茶碗を片手に持ち、お箸でご飯とその上に乗せたおかずを黙々とかき込んでいる。

食事の仕方一つをとっても、お皿にご飯を盛ってゲーン(タイ式カレー)等のおかずをかけてスプーンとフォークで食べるタイの食事様式とは全く異なった生活スタイルがここでは垣間見ることができる。