ヤワラート。そこは、バンコクの街でありながら、バンコクの他の街とはちょっと違った趣のある街でもある。
仏教、漢字及び箸等、中国から多大の文化的恩恵を受けた我々にとって、漢字の看板が多いヤワラート界隈は横浜、神戸等日本国内にあるチャイナタウンを彷彿させてくれ、心地よくかつ魅力的な街に映る。勿論、その喧騒と猥雑さと不衛生さが気にならないとの前提をクリアすればであるが。
いや、その喧騒も含めた街の持つ混沌そのものが、ヤワラートの魅力にほかならないと言っても過言ではないだろう。
バンコク市街には路地があまりにも少ない。散歩が大好きな私にとり、残念ながらバンコクの街は奥行きの無い「のっぺらぼうな街」としてしか映らない。しかし、ヤワラートを歩いてみると数え切れない程の路地が縦横無尽に張り巡らされ、路地の奥には路地裏が密やかに息づいている。その路地の多さがヤワラートの魅力の一つであることに気付かされる。
それぞれの路地がどこに抜けるのかは、路地に入ってからのお楽しみ。「We ain't heard nothing yet」(お楽しみはこれからだ)。ヤワラートの路地は、まさに迷宮への入り口である。
これから入ろうとする路地がどこに抜けるのか、或る程度の予測はつくが、かつて通ったことのある道に抜けるまでは、誠に心許無い。
しかし、その心許無さが、旅人の好奇心をいやが上にも高めてくれる。「ひょっとしたら、道に迷ってしまったのではないか」。心に不安感がよぎる。そんなほんの一瞬の心の緊張を求めて路地裏探索の小さな旅は始まる。
路地を歩くと、それぞれの家の前に貼られた漢字の魔除け等も見える。また、路地の角には小さな祠も見え隠れする。恰幅のよいゴマ塩頭の、見るからに華僑系の顔をした半ズボンのおじいさんが華字紙を広げている。路地からは潮州語の他に東北タイの訛りも聞こえてくる。
ヤワラートには中華料理屋の他に東北タイの屋台が大変多い。華僑系の人達がその労働力として東北タイの人を多く使っているからであろう。勝ち気で利発そうな華僑系の娘さんが、クーラーの効いた店の奥で七つ玉のソロバンを弾き、その店の外では東北タイの若い男達が汗を流しながら重い荷物の搬送作業をしている。
ヤワラート路と並行して走っているサンペン小路、いつ行っても、人、人、人と人の波で溢れている。その昔、プラヤー・セーティーという中国人の首領のもと、中国人がサンペンに移住を始めた頃は、菜園で未開の土地であったそうだ。中国人の移住後、サンペンはたちまちのうちにバンコク最大の商業地に発展した由である。また、この発展とあいまって賭博場、阿片窟が繁盛し、青灯を掲げた売春楼が軒を並べていたと言われている。
以前、ミャンマーとの国境にあるメソードを訪れた際、ズラリと並ぶ繊維商店街を見て驚いてしまった。その時、メソードとサンペンは直結していると感じた。サンペンの繊維製品はミャンマーに入り、バングラデシュを越え遠くはインドの山奥まで運ばれて行くものがあると聞く。
『国境貿易』(高村三郎、毛利卓著、弘文堂)というタイ・ミャンマーの国境地帯の密貿易について書かれた本があるが、密貿易量の大きさが、我々の想像を遥かに上回っていることを知らせてくれる。
サンペンは、多分メソードのみでなく、タイ国境地帯の主要な街全てに直結していると思う。
タイ・ラオス国境地帯のノーンカーイ、ナコーンパノム、ムクダハーンにある「インドシナ市場」の繊維品もその多くはサンペンの繊維会社を経由しているのに違いない。