〈第五楽章〉

尊敬する某氏のお誘いで謡曲部に籍を置いていたことがある。カラオケがうまくなる、声を出すので健康に良いとの二つの理由により入部を決意した。

「鶴亀」は、三カ月位でなんとか暗記できるまでになった。その後がいけない。仕事の関係で、麴町にあった謡の師匠の道場には、次第に足が遠のいてしまった。

謡の練習の他には渋谷区松濤の観世能楽堂に生の謡曲を聞く為に数回通ったこともあった。一般に謡曲の節回しは、大変難しいと言われている。多分それは間違いないことであろう。

謡曲の教科書に、その節回しが特別の記号で書かれてあり、その記号がまた初心者をして混乱に陥れる。「謡」の勉強を始めた時、節回しの記号に関する師匠の説明を聞きながらトッサに思いついた。「ユリーカ」。

謡曲は、「声調」(トーン)だ、要するに、謡曲は「タイ語」と考えればいいのだ。声調が五声もあるタイ語を勉強した私には謡曲の節回しは、ほかの初心者が考える程難しくないと確信してしまった。

一度、タイ人の秘書に謡曲を聞かせたところ、教養ある彼女は、すぐそれが謡曲であることを見抜いた。他方、また別のタイ人のスタッフに聞かせたら、そのスタッフはお経の一種ではないかと答えた。

タイ人が謡曲を音楽として聞いた場合、多分タイ人の頭の中ではっきりと節回しを描くことが出来るに相違ないと思った。〈最終楽章〉一九九三年に九年ぶりにベトナムのホーチミン(旧サイゴン)を訪れる機会があった。街は、当時とは比較にならないほど活気があった。

昔の記憶を思い出そうと、街のあちらこちらを一生懸命に歩いて回った。一九八四年のホーチミンは、それはそれは静かな街であった。当時は、街の中には四輪車はほとんど走っておらず、シクロ(前輪二輪後輪一輪の自転車タクシー)で回るのにちょうど手頃な街であった。